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ぜんぶ、フィデルのせい




監督:ジュリー・ガヴラス/恵比寿ガーデンシネマ/★4(75点)
本家公式サイト

混沌を知った少女が山を目指す物語。
劇中出てくるヤギの問題こそ、この映画の主題なのでしょう。

カトリックの女子校に通う子供達とそこに通わせる「言わぬが花」の親達は“飼いヤギ”なのです。
そして主人公の少女は山を目指すヤギなのです。自らの脚を食いちぎるキツネなのです。
“飼われていること”が幸せだと思う人々は、山(=自由)を知りながら飼われ続けているのではありません。「飼われていることが幸せだ」と教えられ、山を知らないままいるのです。これでは「言わぬが花」ならぬ「知らぬが仏」というわけです。
そしてこれは、少女が“山”という社会、否、社会という混沌(カオス)を知っていく話なのです。

この映画で興味深いのは、「思想」を「素材」としてのみ扱い、プロパガンダに陥らなかった点です。
仏頂面の少女視点を貫き、カトリック(ここでは宗教的な意味よりも保守の象徴と見るのが正しかろう)学校の教師には「自由」を説き、アカの連中にはままごと遊びを通じて「資本主義」を説く。制作側から(少女の言葉を借りる形で)何か一つの思想を観客に押しつけることはない。提示されるのは大人社会の混沌や矛盾だけ。

いやもう大人社会は矛盾してるんですよ。
優しさの象徴であるはずのシスターは「あなたは間違っています。」と価値観を全否定し、天地創造の物語は国によって都合のいいように異なるのです。
共産主義に感化されたはずの両親は、お手伝いを雇う資本主義(権力主義)的行為を続け、「marie claire」などという金持ち奥様向け雑誌の原稿を書いているのです。
世の中、白黒じゃねえんだよ。グレーの部分がいっぱいあんの。

そんな大人達に「なんで?」と問い続けるこの少女こそ、実は本当に純真で素朴な子供なのかもしれません。
そりゃ、大人達から見たら「わがまま」に見えるでしょうよ。だって、飼いヤギこそ幸せだと考えてるのですから。

余談

社会派とも受け取れる視点で作品を取り上げた監督は何者かと調べてみたら、コスタ・ガヴラスの娘なんだと。なるほど。

日本公開2008年1月19日(2006年 仏)99分

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