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河童のクゥと夏休み




監督:原恵一/新宿ジョイシネマ/★5(92点)
本家goo movie公式サイト

ありがちな異文化交流ではなく、失った何かを「再発見」する豊穣で多面的な物語。秀作。
原恵一でなければ絶対に観ない類の映画で、それでも文部省お墨付きみたいな臭い説教じみた映画なんじゃないかという一抹の不安を抱えていた。

その懸念は冒頭で早々に払拭される。いきなりネタバレなんだけど、河童視点なんだよ、この映画。
異文化交流映画はピンからキリまで『E.T.』から『REX』まで多々あるが、この映画が根本的に異なるのは、その重心の位置にあると思う。だって河童なんだよ!

伝説上の既知の生物であることと、「言葉の壁」を取り除いたことで、(人間が)異文化を知ることや『未知との遭遇』にはほとんど時間を割かない。
この映画が最も重点を置くのは彼の生活環境である。それは他の異文化交流物と差異が無い様に思えるが、しかし河童なんだよ!河童が河童として生きていく世界は、現代日本にとって「失われた世界」なのですよ。

この映画は「再発見」の物語である。それも一つではなく多面的に。

この映画を観れば誰でも、まず人間と自然の関係に目が行くだろう。
デビルマンの如く東京タワーから河童視点で見下ろす街は破壊された自然の象徴であり、そこに降る大雨は人間に対する自然の復讐とも見てとれる。
だが、単に「失われた自然」を再発見する物語だけではない。

人間と自然の関係は、ストーリー上「父親の仇としての人間」という形でミクロ的に集約されると同時に、「自然を破壊した人間=自分達の生きる場を奪った人間」というマクロ的な要素も含んだ二重構造になっている。
そして、「父ちゃんごめん〜」で始まるラストの台詞は、これら全てを包括して「人間の友達ができた」と言っているのだ。「人間と友達になった(なれた)」ではない。名台詞だ。本当に名台詞だと思う。
これは、クゥにとって、人間を「再発見」する物語とも言える。

だが、声高に自然讃歌を叫んだり、安易な共生を唱えることもない。「自然=善、人間=悪」などという安直な結論も持ち出さない。学校教育的な安い教えを直接語るような真似は一切しない。

主人公の家族(野原家と同じ家族構成だ)だって、殊更良い人間というわけじゃない。たまたま河童と関わっただけの普通の家族なんですよ。「まいっちゃったなぁ」って友達に自慢もしたければ、テレビに出れば舞い上がるんですよ。
これは、彼らが「人間らしい優しさ」を再発見する物語でもあるのです。そして、人間らしい優しさもまた、現代社会では「失われた世界」でもあるのです。

そして、いじめのエピソードは、(劇中でも語っているが)「自分の居場所」を再発見する物語であるのです。子供達が居場所を再発見する物語は、河童の居場所を探す物語とシンクロし、犬に至っては、居場所の物語と自然(野生)回帰の物語も包括している。河童を乗せて走る犬は、飼い犬であった自分の中に眠っていた野生を再発見したことだろう。以前の飼い主を思い浮かべながら、自分の居場所が正しかったのかを思い巡らし、「生きる意味」を再発見したことだろう。

少し話が横道に逸れるが、この犬のエピソードこそ凡庸な子供映画ではない証明だと思う。あのねえ、最近の子供映画は「死」を描かなすぎなんですよ。きれいごとばかり並べ立てても何の教訓にならんのですよ。いじめのクダリもそうです。善ばかり見せても悪との区別は覚えないんですよ。滅びの呪文も知らなければいい呪文も使えないんですよ。
あ、だいぶ横道に逸れた。

そしてなにより、我々観客が「失った(心の中の)何か」を再発見する映画であるのです。

2007年7月28日公開(2007年 松竹)

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