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腑抜けども、悲しみの愛を見せろ




監督:吉田大八/渋谷シネマライズ/★3(64点)

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二兎を追う者一兎をも得ず
まあ、二兎をうまいことドンブリにして喰っちまったともとれるが、そういうことを言いたいんじゃない。しかも永作博美とサトエリだろ?いいよなあ。ということでもない。ま、永作博美だったら80回スタンプカード買うがね。

設定やストーリー自体は面白い。たぶん原作者の才覚なのだろう。
ただ、どうも映画自体には才気が感じられない。

この映画のキャスティングで出色なのは明和電機なのだが、そうしたザブキャラは置いておいて、ちゃんとその役柄がマッチしているのは永作博美しか見当たらない。いつだって永作博美はサイコーなのだが、俺の色眼鏡を外してみてもやっぱり永作博美はよく演じている。家族の中で浮いたキャラ。見ていて痛々しいくらい。

正直、この痛々しさがサトエリになきゃいけなかったのだ。だってそう台詞で言ってるんだし。
自分の立場が変わったことを永作博美は演技で見せている。ところが他の主要なキャラ、サトエリも妹も全く変化が見られない。立場が逆転した状況が(台詞じゃなくて)画面として表現できていない。永瀬に至っても嫁と妹達に対する態度にもっと変化があっていいはずだ。

最大の失敗は、サトエリがトンデモ勘違い女にあまり見えなかったこと。

これは監督の意図なのかどうか分からないが、「嫌な女」なのに「どこか憎めない」キャラを作り出そうとしている気がする。二兎を追ったのだ。
結果、一兎をも得ない中途半端なキャラになってしまっている。完全に劇中マンガに負けている。本来ならあのマンガに負けない、むしろ勝つくらいの印象を観客に与えなければ成立しない話じゃないだろうか。
二兎を追う必要はなかった。まったくもって嫌な女一本でよかった。そうでなければ「やっぱお姉ちゃんは最高に面白いよ」という台詞が活きてこないじゃないか。「最高に」って言ってるんだから「普通に嫌な女」じゃダメなんですよ。最高に嫌な女じゃなきゃ。最高に嫌な女が負け側に転じるから最高に可愛く見えるんですよ。

もう少しこの点を詰めると、「嫌な女」の核である「勘違い女」の描写が、実は台詞処理か下手な回想しかない。
この理由は明確で、勘違い女は「東京での失敗」のバックグラウンドという扱いだからだ。そして「東京での失敗」はストーリー上の背景で、メインは「帰郷後の話」なのである。

このバックグラウンドをちらつかせながらの帰郷話というのは、場面転換が少なく閉ざされた空間の“舞台”向きの設定なのかもしれない。
舞台は演者をリアルに感じられるかもしれないが、映画の方がストーリーや描写をリアルに見せる必要性がある。貝殻1個置いただけの空間で「ここは海だ!」と言い張れるのは舞台だけで、映画は実写として海を見せる必要がある。森光子が女学生を演じても許されるのは舞台だけで、映画ではとても大変どーにも無理がある。「ろくな芝居も出来ないくせに性格ばっかり悪くて!」と罵るだけで観客が納得するのは舞台だけで、映画では実際にそういう場面を観客に見せる必要がある。
だからオーディション場面の回想があるわけだが、それがたまたまなのかいつもそうなのかはこの演出では分からない。「東京で大変だったの」と口では言うが、実際にあるのはたった1回のオーディション場面。映画なんだからカット繋いで様々なオーディションに落ち続けた様に見せるのは容易なのに。
この映画は、そうした“細部の積み重ね”ができていない。

また、あるいはキャスティング・ミスだったのかもしれないとも思う。

例えば永瀬。これが香川照行だったらどうだ?田舎の生真面目だったり堅物だったりする兄弟は香川照行と相場が決まっている。年齢が違いすぎる?連れ子なんだから問題ないでしょ。むしろ、歳の離れた兄が若い妹達に翻弄される方が設定に説得力があるんじゃない?

それとサトエリね。これが小池栄子だったら・・・。

2007年7月7日公開(2007年 ファントム・フィルム)

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