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マリー・アントワネット




監督:ソフィア・コッポラ/渋東シネタワー/★4(74点)
本家goo movie公式サイト

ヤンキー娘がおフランスを舞台に描く「女子大生青春物語」。
フェミニズムを全面に押し出すジェーン・カンピオンやコリーヌ・セローなどに比べて「肩に力の入っていない女性監督」と私が命名したソフィア・コッポラ。
それが何を力んで歴史物をやる気になったのかと、カンヌでの酷評も耳にしていたので大変心配していたが杞憂だったようだ。
冒頭、オーストリアからフランスへ向かう馬車内の描写だけでもう安心した。
「やっぱりソフィア・コッポラだ。」

ソフィアの映画は、ナレーションや独白を用いないのに“一人称”に見える。
“私小説”的と言ってもいい。
歴史の忠実な描写や隠れた真実を暴くことなどに微塵も興味はなく、「等身大の女性」にのみ焦点が当てられる。
もしかすると、「虚像」に彩られた実在の人物に、理解しやすい「実体」を与えてみたかったのかもしれない。

ならば、この映画のマリー・アントワネットも理解しやすい実体に置き換えてみればよい。
ちょうど日本の女子大生くらいでどうだろう?
親元を離れ、社会に出るまでのモラトリアム。“私”という一人の女性が過ごす無為な時間。
一人の女性の心の機微が繊細に描かれていることに気付くだろう。
『ロスト・イン・トランスレーション』と根底は同じだ。舞台が現代東京から中世フランスに移っただけ。
歴史物ということに観る側の肩に力が入っているだけで、作り手の肩の力は抜けている。
逆に意図的にポップなイメージを全面に押し出すかと思ったら、そういう力みもない。
大変好ましい。

興味深かったのは「食事」の扱い。
マリーには生きるための食事の描写はない。「快楽」としての飲食が描写されるだけだ。
飯は食わねば生きていけない。
つまり彼女は生きるために快楽を求めたとも解釈できる。
心の空腹を満たすための夜遊び。乱痴気騒ぎが過ぎて残る虚しさ。ホント大学生並。仮面舞踏会がディスコだっていいじゃないか!(<今はクラブだ)

今、日本には私小説的な物を書く女性小説家は大勢いるが、映画界は日本に限らず世界中でほとんどいないと言っていいだろう。
おそらくソフィア・コッポラは、今“私小説”を描ける世界で唯一人の“女性”映画監督ではないだろうか。
映画で私小説的なことを最初にやったのは多分ヌーヴェル・ヴァーグだろう。
その本家フランスのカンヌ映画祭でこの映画が理解されないとはどういうことだ?
あ、日本人が「『ラストサムライ』ちげーよ!」ってのと同じだな。

余談

どうでもいい話だが、この映画と今年日本で公開される『さくらん』は、その前提に類似点が多いことに注目している。
『さくらん』の監督は蜷川実花。蜷川幸雄の娘。ソフィア同様、有名演出家のお嬢さん。ともに女性監督によるコスチューム・プレイ(舞台は江戸時代の花魁)。
映画慣れしているソフィアに軍配が挙がるであろうことは分かっているのだが、男性社会の映画界の中で何か新しい流れが生れつつあるような気がしている。

日本公開2007年1月20日(2006年 米)

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