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プラダを着た悪魔




監督:デビッド・フランケル/渋東シネタワー/★3(68点)
本家goo movie公式サイト

大変好感の持てる話。ロザンナ・アークェットに見せてやりたい。
映画としてはともかく話は大変好感が持てる。

映画としては・・・と言うのも、この監督に作家性というか才気は全く感じられないから。
曇った鏡をサッと手で拭くファーストショットはカッコイイが、それがカッコイイだけで終わるか否かが才気だと思う。彼女が壁にぶつかった時、「お前は変わった」といわれた時、どうして鏡で自分自身を見つめないのか。一人の女性の成長物語であるにも関わらず、彼女が自分自身を見つめ直す行為を画面(えづら)として見せていない。

だが、話としては好感がもてる。
「私生活が破綻すれば仕事が成長した証拠だ」みたいな台詞がある。全然正確に覚えていないが。
その通りだと思う。「仕事より家庭」なんてことを声高に言い出してから、日本の経済力も技術力も成長が止まったのだ。大人は「働く姿」「プロフェッショナルな姿」をもっと子供に見せるべきだ。
この映画は、甘ったれた大学生が社会という厳しい現実にぶち当たる様を描いている。『チーム★アメリカ ワールドポリス』でも揶揄されたハリウッドお得意のモンタージュ手法で軽やかに超えていくが、少なくとも「社会はそんなに甘いもんじゃない」ことを教えてくれる。「世の中は理不尽である」ことも教えてくれる。意図せずに仲間を裏切るという社会の厳しさも提示する。大変好感が持てる。
「お前は努力していない。泣き言を言っているだけだ。」なんてそこら中の社会人に聞かせてやりたい。「評価されない」なんて言う奴に限って努力が足らんのだ。

メリル・ストリープの演技は素晴らしい。抑えた声の出し方、物腰、目線。あの車を降りて観衆の前に向かう姿なんて正真正銘大女優。『午後の遺言状』の杉村春子みたい。
そんな鬼上司(悪魔か)と永遠のシンデレラ・ガール=アン・ハサウェイが、傷の舐め合いみたいな相互理解でなく、高度に精神的な部分で理解し合えたことにも好感が持てる。
こんな上司なら俺も仕えてみたい。いや、やっぱりヤダな。だって出版前のハリー・ポッターを入手したお礼に身体を許さなきゃならないんだろ?いや、俺にこうした対価を払ってくれるお嬢さんに好感は持つのですが。いや、そんなことではなく、このメリル・ストリープを見ながら『デブラ・ウィンガーを探して』との奇妙な符号に気付いたということを書こうと思ったのだ。

『デブラ・ウィンガーを探して』は、「仕事と生活の両立」に悩んだロザンナ・アークェットが女優仲間に「あんたどうしてる?」って聞くドキュメンタリーなのだが、この映画内でしばしばメリル・ストリープの名が挙げられる。本人が登場しないにもかかわらずだ。
どうやら多くの女優達の中でメリル・ストリープは特別視される存在、RUNWAYの編集長同様憧れの的らしい。そして『デブラ〜』を制作・監督した二流女優ロザンナ・アークェットは、最初の頃のアン・ハサウェイ同様「グチこぼし」のスタンスにすぎない。
そう考えると、おそらくメリル・ストリープは、この編集長同様、女優として生き抜くために多くの私生活を犠牲にしてきたのだろう。いや、彼女のプライベートなんて全然知らないんだけどね。

要するにこの映画、アン・ハサウェイの成長物語(シンデレラ物語)としてのみ捉えると凡庸な娯楽映画に思えるのだが、メリル・ストリープに感情移入して観ると俄然面白くなってくる。
まあ私が勝手に、プロフェッショナル編集長にプロフェッショナル女優をオーバーラップさせてるだけなんですけどね。

余談

「わーいバッグもらったー」と喜んでいたかと思えば、人の仕事の電話を「やーい」って邪魔してみたり、終いには「あんたは変わった」と事情も知らずに酷い言葉を投げつけるアン・ハサウェイの友人の女性がいるが、結局この女と和解せずにドラマが終わったことも好感が持てる。

余談2

私は『デブラ・ウィンガーを探して』を2番館二本立てで観たのだが、もう一本はメリル・ストリープ出演『アダプテーション』だった。女優仲間の憧れの的がこれかよっ!仕事選べよ!

2006年11月18日公開(2006 米)

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