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春の雪




監督:行定勲/CS/★3(50点)
本家goo movie公式サイト

意外と鈴木清順向きの素材かもしれない(笑)
残念ながら『豊饒の海』四部作は未読なので本当にこんな話なのかどうか分からない。

三島由紀夫作品はたいがい「若気の至り文学」だと私は思っている、
なんて書くと三島ファンにぶん殴られそうだな。
青年が権力や風習、機構といった目に見えない「巨大な壁」の前に敗れ去るという構造だが、三島文学のそれはいわゆる社会派作品とは異なる。巨大な壁たる権力やら風習やらを“撃つ”気はない。巨大な壁の前で敗れ去る若者に美学を見出すのだ。
この作品で言えば、“悲恋”が主眼ではない。恋と社会に敗れた“可哀相な僕”が主眼なのである。いや、本当は「夢と転生」がテーマなんだけど。いや、原作読んでないから知らないんだけど。

従って、この映画を象徴する場面は「寺に入れない妻夫木君」であるはずなのである。
彼の前にデーン!と立ちはだかる山門こそ、巨大な壁の象徴であったはずなのだ。
ついでに言えば、仏像も竹内結子の前にドーン!とそびえ立つべきだ。どうしてあんな、覗き見るような写し方なのだろう?

この映画、デーン!とかドーン!とか何かが目の前に立ちはだかる感覚はほとんどない。
画面は常にフワフワと雪の如く動き、場面転換もオーバーラップかフェードアウト。
映画全体に「柔らかい印象」を与えようと意図しているように思われる。
おそらく意図的に過剰な演出を避け、私が言うところの「行定センチメンタリズム」も抑えている気がする。
それが正解だったか失敗だったか私には分からない。
ただ私に分かったのは、「映画全体が器用にまとまっている」という一点である。

行定勲の演出は手堅い。
妻夫木君登場シーン(だったかな?)、ボートに横たわった彼の姿が“無音”で画面に入ってくる。ああ、映画だな。この人は映画が分かっている人なんだな、と思う。
ただ、行定勲は感覚やセンスで撮っているわけではない気がする。
彼は自分の知識の中で映画を構築しているのだろう。
だから見ていて「無茶するなあ」と思うようなこともないし、「デタラメなんだけど好きなんだよ」と思うこともない。

だがこの素材なら、もっと無茶してもよかったんじゃないだろうか。もっと激しい映画にもできたろう。
例えば、この映画に散りばめられた素材は「悲恋」であり「夢日記」であり「死」であり「大正時代」である。それはもう、鈴木清順が映画化してもいいくらいの素材だ。♪夢でもし逢えたら素敵なことね♪的な小器用なまとめかたより、夢と現実の区別がつかなくなるような幻想世界だって可能だったはずだ。

むしろそういう夢現(ゆめうつつ)の世界が観たかったと思うのは私だけだろうか?私だけだな。そんなの興行的に失敗するよ。だいたい三島作品の正しい解釈じゃないし。

だが、そもそも三島作品は映像化に向いてますか、って話ですよ。ちゃんと映像化できた前例が一つでもありますか、ってことですよ。あの『炎上』ですら、映画だけ観れば傑作でも、原作を読んでしまうと「これが限界だったのかなあ」と思ってしまうのだから。
どだい無理な相談なら最初っから別世界を目指すのも手だと思うんだけどなあ。
意外とその方が三島世界に近づけるかもしれないよ。

余談

ところで、ヨメが指摘したのだが、幼少の頃の聡子役は最近話題の志田未来ちゃんのようだ。あと、これは俺が指摘したのだが、友人の本多役は宮崎あおいたんの彼氏だな。
本当に余談だ。

(2005年 東宝)

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