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ラフ




監督:大谷健太郎/渋谷アミューズCQN/★3(60点)
本家goo movie公式サイト

長澤まさみは罪な女
私もいい歳こいたオッサンなわけですから、「長澤まさみちゃんが可愛い」とか「競泳水着ばかりかビキニまで!」とか「ヤバイ!まじヤバイ!」なんてことは言いません。オヤジ新聞日刊ゲンダイは「長澤まさみは巨乳を隠している!」と喝破して喜んでいましたが、そんなことはどうでもいいことです。
あくまで映画オタクとして、この映画を真摯に語ります。

本来なら、この監督の前作『NANA』と比較すべきところですが、観ていないもんで、同じあだち充原作の長澤まさみの前作『タッチ』と比較してしまうことをご容赦ください。

『タッチ』は投げた球がどこに飛んで行くか分からない方向性の無さがありましたが、『ラフ』は一転、ゴール目指してまっしぐらな映画です。
そのゴールは、本作を観る前から誰でも分かっていることです。
こうした「恋愛」というジャンルは、分かりきったゴールまでの「過程」を楽しむことを観客は求めていると思いますが、本作は脇目もふらずまっしぐら。まるで水泳です。
その制作側の「余裕のなさ」「アップアップしている様」は、観ていて微笑ましいというか、笑っちゃう。「ラブコメ」の「コメ」部分が忘れ去られている。

例えば、映画が始まって早々、寮のおばちゃんがわざわざ皆を呼びつけて「『ラフ』とはなんぞや」という説教をたれます。
原作通りなのかもしれませんが、いつまで続くか分からない連載マンガと、2時間前後で完結する映画とはわけが違います。
言い換えれば、連載マンガは大局的な起承転結が付けにくいので、早々にそのテーマを提示して観客の理解を得るという手法も可ですが、映画の場合はいささか疑問を感じます。
つまり、ストーリー上いろいろあった挙げ句、「あなた達は『ラフ』なんだよ」というならテーマ足り得ますが、映画の場合、早々に提示されたものは「伏線」として受け止めてしまいます。
ぶっちゃけ、この説教シーン要らないのですが、もしこのまま残すなら伏線として活用すべきです。
その辺に、制作側の余裕のなさがうかがい知れるわけです。

例えば、家庭の事情で夢を断念せざるをえなかった友人。彼はいち早く「ラフスケッチ」から「小さくまとまった絵」になろうとしているのです。何か一言触れてもバチは当たらないはずです。
例えば、エンディング後の無駄なエピローグ。おばちゃんが次世代に向けて「『ラフ』とはなんぞや」とまた説教しているシーンなら分かります。その方が、この寮で新しいドラマが始まる予感を感じさせて爽やかに映画が終われるのです。あれじゃ単に「第6回東宝シンデレラ」を紹介するだけの意図的な『イヴの総て』じゃないか。

おばちゃんの説教たれに長々割いてしまいましたが、要するに「原作を消化(昇華)していない」映画なのです。
登場人物紹介は一見テンポよく見せていますが、この内容ならあんなに大勢紹介する必要はない。特に柔道部の女性なんかコメディーリリーフなんですから、個性的な体型さえあれば名前すら必要ない。
映画全体が、目先のノルマをアップアップこなしているだけ。
市川由衣なんか可哀相に、ストーリーにも絡んでなければ、可愛くも撮られていない。

そのせいかどうか、映画として肝心なところを無視します。
復活した仲西弘樹が「必死だった」と言うシーンがあります。
原作マンガでは(遠い記憶なので間違っているかもしれませんが)、彼は坊主頭でまるで別人の姿で登場するのです。言葉よりもその姿が「必死さ」を物語るのです。
必ずしも原作通りである必要はありませんし、そもそも原作と比較する必要すらないのですが、どっちが説得力があるかと言えば、それは原作です。映画よりもマンガの方が映画的なのです。私が「神は細部に宿る」と思うのはこういう所です。まさみちゃんはセカチューで坊主頭になったというのに、どうしてお前に出来ないんだ!

いずれにせよ、あだち充マンガは映画に向かないと私は思っているのですが、長い時間をかけて揺れる乙女心を描写するマンガに比べ、映画はどうしても短時間で決着を付けなければならない。
短時間で決着が付いてしまうと、長澤まさみが必死な野郎どもを手玉に取る罪な女に見えてしまいます。
だって、二人とも彼女から誘ってるんじゃないか。これはひどい。ひどい女だ。
でも長澤まさみちゃんだから許そう。むしろ積極的に手玉に取られたい。

2006年8月26日公開(2006年 東宝映画)

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