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そろばんずく




監督:森田芳光/CS/★4(75点)再鑑賞→
本家goo movie
正直、誰にも勧めないし、誰も俺の言うことに耳を貸さなくていい。シッ!シッ!
『そろばんずく』誕生20周年を祝して再鑑賞した。嘘。たまたまCSでやっていた。
20年後の今観ても全く古びていない。嘘。いや、半分本当。

当然、時代は感じる。この映画を今観れば「バブル時代の映画だなあ」と誰もが思うに違いない。
確かにバブリーな時代の影響をモロに受けた映画というのはある。『私をスキーに連れてって』などが代表的な例だ。
だが『そろばんずく』は違う。バブルの影響下でこうなったわけではない。バブリーな時代そのものを真正面から捉えた日本で唯一の映画なのだ。

一般的に、日本のバブル景気は1986年11月からの4年3月ヶ間を指すものとされる。
この映画が公開されたのは1986年8月。既にバブルの兆候はあったとはいえ、なんと3ヶ月も前に時代を予見した映画だったのだ!
今、「あの時代は何だったんだ」という回顧映画を作るのはたやすい(時代考証は面倒だが)。
だが、それを先んじて作ることが、どれだけ難しく勇気のあることか。だいたい、観客がそんなもの求めてる保証はどこにもないんだぞ(放っといても客が入るおにゃんこ映画と併映という気楽さはあったろうが)。
今、「バブル景気とはなんぞや」と授業で学んでいる学生諸君。この映画を観るといい。時代の空気が肌で分かるから。面白いと思うかどうかは別として。いや、あまりお勧めしないけど。

さらにこの映画に描写される時代性を読み取ると、徹底して「日常」を描かない異常さにある。
まあ、モリタ君は元々あまり日常を描かない人なんだけれども、それでもサラリーマン主人公なら嫌でも会社の描写は必要でしょうよ。
それを何故か学校にしてしまう。しかもコスプレ。安田成美のセーラー服。そして『メインテーマ』。なんだそれ?本当は薬師丸ひろ子で撮りたかったんじゃないか?20年後の今なら彼女はやるぞ。
要するに、この映画の「異常さ」は時代の「異常さ」とリンクするのだ。

さらにさらに注目すべきは、前作とはあまりにも極端に異なる方向性。
前作は、黒沢明『乱』を押さえ堂々キネ旬1位の『それから』。
シリアスからコメディーという極端さだけではない。
「古典」から「時代の先端」という対象の極端さ。
そして、数々のメタファー(暗喩)を散りばめ、人物の立ち位置一つでその感情を間接的に表現した『それから』に対し、『そろばんずく』では全てベタな直接描写。
立ち位置や仕草で見せる微妙な感情なんか関係ない。「身体交わしてみなけりゃ分からないだろ?」ってわけである。なぜならそういう時代だったからだ。
そして、この極端な方向性の違いは、「俺は何でも出来る」ってモリタ君が言いたかったからだ。

そして、時代の先見性を示した本作は、森田芳光研究に於いても重要な映画の一つと言える。
この頃から始まる森田不遇の時代は、ちょうどバブル景気とリンクする。
その異常な時代に対して、彼は『バカヤロー!』と毒づくことしかできなかったのだ。
(バブル末期には仕事欲しさの駄作を連発することになる)

この映画を観た多くの人は破綻した映画だと思ってるかもしれないが、今観るとストーリーはきちんと筋が通っている。今や、これより破綻したストーリーの映画が平然と世の中に出回ってるぞ。マジで。
これは立派な「バブル期・サラリーマン物」なのである。
改めて観たら、ト社とラ社の社長は小林桂樹と三木のり平。そりゃもう、東宝喜劇社長シリーズでモリシゲ社長にこき使われた彼らなのである。この映画はそのオマージュ。否、後日談。モリタ君の目配り。

正直言って、20年後の今観て面白いわけないだろ。って言うのが普通だよね。
あのねぇ、ぶっちゃけ面白かった。昔観た時より面白かったかもしれない。マジで。
もうねぇ、くっだらないの。最高にくだらないの。たまんない。マジで。

1986年8月23日公開(1986年 フジテレビジョン=AtoZ=ニッポン放送 東宝)109分

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