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太陽




監督:アレクサンドル・ソクーロフ/銀座シネパトス1/★2(35点)
本家goo movie公式サイト

実験容器上の人物観察映画。1アイディアだけで2時間押し切るのはやめてもらいたい。
劇中、研究用の蟹を天眼鏡で見るシーンがあります。基本的にソクーロフの映画ってのは、これと同じなんですね。用意した一つの素材をシゲシゲ眺めるんです。
素材を自然のまま活き活き撮るわけでもなければ、溝口のようにサディスティックに追い詰めるわけでもない。顕微鏡でつぶさに観察するわけでも手で触れるわけでもない。ヴィスコンティやベルトルッチのような歴史のうねりもそこにはない。ただただ、実験容器の如き設定に置いた素材を眺めているだけ。
私はソクーロフを「実験好きの映画下手」と言っているのですが、彼の作品の登場人物に物足りなさを感じるのは、こうした距離感が理由だと思うのです。

「現人神と崇められた天皇が人間宣言した」という史実を知った歴史好きソクーロフが、「これ面白い。これ面白い。」と言って映画化したのではないかと私は睨んでいます。
実際には、ヒトラー、レーニンに続く人物伝らしいですが、それでも彼が昭和天皇に目を付けた点はそこだったに違いありません。

そういう1アイディアで押し切るのは短編ならアリです。
実際、この映画で面白いのはラストもラスト、オーラス。まるで星新一のショートショートみたいな面白さを見せます。

人間宣言した彼の元に妻が帰ってくる。そして子供達の元へ向かう。一人の人間として家族が一つになることを充分予感させて・・・。
分かりやすい。いやもう、「ちゃらい」とさえ思う。ソクーロフちゃらい。

予想に反してヒットしていますが、天皇を描いたことを抜きにしたら、映画として本当に面白いかなあ?

空間的にも物語的にも映画的な広がりを拒絶した約2時間は、正直キツイと思うんですがね。
空爆のイメージは結構ですが、それなら彼の心象風景も映像で表現すればいいのに、全部「言葉」で処理してるだけ。それとも、雲間からのぞく太陽がそれですか。群れをなして飛ぶ白い鳥ですか。ちゃらいな。

この映画には語り部が存在しません。
『ラスト・エンペラー』でも『ラスト・サムライ』でも古くは『王様と私』でも、「外国人視点」の語り部が登場します。
必ずしもそれが正解というわけではありませんし、「外国の王様(殿様)を描く時は語り部が必要!」と言ってるわけでもありません。
ただ、ドラマツルギーとして、彼の孤独や苦悩を(陰ながら)理解してあげられる第三者は必要だと思うのです。そして、一般人の視点から王様に歩み寄ることが、観客に何かを伝える映画としての成立要件だと思うのです。
ただ、これには例外があります。監督自身が王様と一体だと思っている場合。『エルミタージュ幻想』の時も書きましたが、ソクーロフにはそうした傲慢さが感じらます。
しかし、先に述べた通り、監督の立ち位置は一体どころか、観察対象なわけですから(それも傲慢だ)、ますますもっておかしなことになってきます。
そこが彼を「映画下手」と呼ぶ所以です。

せっかく外国人なんだから、外国人の視点で描く方が得策だと思うんですよ。
だって普通に考えて、日本人が「興味深いから」と言って、例えばダイアナ王妃の生涯をイギリス人視点で描いてどれだけの物ができると思いますか?
外国人視点だからこそ迫れる本質があるなら、映画上でも外国人視点を貫くべきです。
私だったら、「コーンパイプのおっさん」ことマッカーサー視点で「ヒロヒト」という人間を見つめる映画にしますがね。あれ?葉巻吸ってるぞ?

本作を、昭和天皇の史実からヒントを得た「架空の物語」と呼ぶには、作劇作法として手を抜きすぎています。いや実際、架空の物語なんだよ。人間宣言と玉音放送がごっちゃになってるし。
しかし映画としては、彼の置かれた立場、状況、そういった説明や描写は一切なし。
「天皇ヒロヒト」と言っただけで、「みんな背景は分かるよね?」という手法。
それはフィクションとしては全然ダメ。少しはSFを見習いなさいって話ですよ。

そういう説明不足の結果、彼が何に悩んでいるのかも分かりにくい。いや、分かりますよ。映画だけを素直に見れば。
彼は「神」と呼ばれること「だけ」に悩んでいるんです。
我々日本人は勝手に脳内補完してあれやこれや言いますが、映画上は戦争責任だのナンだの一切関係なく(だいたい戦争が終わったかどうかすら状況が分からない)、
ただ「僕ちゃん、普通の男の子と呼ばれたい」とキャンディーズみたいなこと「だけ」悩む男を描いた映画です。
「神」と呼ばれた男の「幼児性」こそ、実はソクーロフの描きたかった本当のところかもしれません。
そういうことなら西洋人には観察対象として面白いでしょう。
彼が神と呼ばれたことによって失われた命なんか関係ないのです。余計な脳内補完しちゃいけません。素直に映画だけ読み取りましょう。戦争なんかちっとも描いてないもん。あれは空爆じゃなくて鳥が産卵してただけだもん。見て見て、死体一つ無い美しい焼け野原。わーきれい。

一方、「人間宣言」したものの、実在の人物像に引っ張られすぎて、本当に人間になったかどうかすら怪しいまま。もっと激しく泣いたり笑ったり怒ったりして「本当に人間らしくなった」ことを表現してもよかったろうに。架空の物語なんだから。
それともあれか、人間宣言したものの本当は人間になれなかったという話か。だとしたらちょっと面白い。前言撤回。ちゃらくないぞソクーロフ。

いっそ『人狼』みたいに「もう一つの日本」という完全なる架空話にした方が、映画としては面白かったと思う。例えば昭和天皇に全然似ていない、そうさなあ、松平健なんかが演じて「俺は暴れん坊じゃない」宣言をする映画だったら、私は評価したかもしれない。

余談

「成りきり芸」のイッセー尾形と何をやっても「桃井かおり」という対照的な二人の夫婦漫才は面白かった。ここだけは日本人にしか分からない面白さ。

日本公開2006年8月5日(2005年 露=伊=仏=スイス)

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