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THE 有頂天ホテル




監督:三谷幸喜/新宿アカデミー/★3(50点)
(本家goo movie公式サイト)
豪華出演陣の中でものすごく輝きを放っているのはたった一人しかいない。(答えは長いレビューの最後に)
三谷幸喜は、現在の日本映画界に於いて、二つの点に於いて希有な存在と言える。
一つはコメディーを作り続ける作家として。
一つは「グランドホテル形式*1」の群衆劇を得意とする作家として。
特に後者は、近代文学以降、小説を中心に「一人称形式」が根付いている日本では、得手とする作家はあまりいない。

初監督作は自身の舞台作のリメイク、2作目は自身の体験談。ようやく3作目にして、監督・三谷幸喜は“映画”のための“創作”を純粋に行ったことになる。
充分に映画を意識したであろう結果は、きれいにまとまった脚本だと思う。きれいにまとまり過ぎて面白味に欠けるくらい。きれい事を整理して並べましたというのが正しいかもしれない。
面白いか面白くないかと問われれば面白いのだが、すごーく面白いかと問われると、うーむ、、、というのが素直な感想。

この映画は、オープニングとエンディングをカーテン(幕)で挟むことで、「これは舞台の上のお芝居です」と宣言している。
従って、リアリティウンヌンに関する批評はあまり適切とは言えない。

また、カメラがホテル内に入っていく冒頭で、ホテルという“舞台”で起きる“人生劇場”を我々観客が“垣間見る”という設定が提示されている。
誰かに感情移入させる構成ではないので、感動ウンヌンもあまり適切な評とは言えない。

さらに、「グランドホテル形式」と「リアルタイム形式*2」という、非常に舞台的な映画手法を用いてもいる。
従って、舞台的であるのも当然といえば当然なのである。

この映画は、「舞台的である」ということよりも、「映画としての輝きを持っていない」と評する方が適切ではないだろうか。

私が特に感じたのは役者の扱い。
一見、これだけの大人数にそれなりの見せ場を作ったように見える。
長台詞や歌などは、舞台ならば観客の視線が(まるでカメラがズームアップするように)集中する“見せ場”かもしれない。もちろん映画でも見せ場になる確率は非常に高い。
だが本来、映画の見せ場は時間ではない。シーンだ。
『午後の遺言状』のラストで見せる杉村春子の圧倒的な女優としての“格”。あれが映画に於ける役者の見せ場だ。この例えが分かりにくければ(だいぶスケールダウンするが)『Wの悲劇』の薬師丸ひろ子のラストシーンでもいい。それでも分からなければ、同じコメディーで『博士の異常な愛情』のピーター・セラーズを思い出せばいい。
彼の見せ場は奇抜な扮装だったか?それとも長台詞だったか?

三谷幸喜は“当て書き”をするという。特定の役者をイメージして台詞を書くのだが、これは誰でもやることだ。問題は、今回そのイメージキャストが100%出演してくれた(らしい)ことにある。
これは、役者と役柄に違和感が無いというメリットがある反面、作り手(あるいは観客)のイメージ内での演技しか要求していないというデメリットもある。
日本映画だの日本のテレビドラマだの年がら年中見ている者から見れば、それが好きな役者達であるが故、苦言を呈したくなる。こんなもん、彼らのベストアクトにはほど遠い。腹八分の演技にすぎない。
可哀相に、豪華出演陣の多くが、自分の場所を与えられていない。シーンとしての見せ場がもらえていない。
2時間に収めるため役者に「早口」を強要した結果、芝居の間まで奪ってしまっている。
ましてや、あまりにも皆主役級なのだ。彼らが、物語全体に於ける自身の役柄の位置付けを把握できず「カメオ出演」的感覚であったとしても何ら不思議はない。
それも自分のイメージに近い役。小手先の巧さだけでこなせる役。本当に与えられた役柄を消化しているとは言い難い。

そんな中、ベストアクトとも言える輝きを放った役者が一人だけいる。
たった一人だけ、見事に役柄を理解して己の中で消化し、その役を地道に積み重ねることで、最後の最後に素晴らしく映画的に輝くシーンを生み出している。「いい味出してる」なんて次元は遥かに超越し、その姿は神々しくさえあった。そう。俺はそこに見たのだ。映画の神や笑いの神、否、八百万の神々が降臨した瞬間を!!!

携帯電話を壊す角野卓三。

今年の助演男優賞は彼で決まりだ。

*1 グランドホテル形式は、言うまでもなく、この映画の中でも語られる『グランドホテル』からその名が付けられている。三谷幸喜はこの形式がお好みのようで、テレビドラマも含め、一つの舞台に大勢が出入りする話が多い。演劇(特に小劇場系)では、場面転換が困難なうえ劇団員をある程度の人数を出演させねばならず、この形式は重宝なのだろう。「古畑任三郎」だけ一人称形式ドラマに思えるが、シリーズ全体を通してみれば、古畑任三郎という“舞台”に様々な犯人が関わる「グランドホテル形式」にも見える。

*2 リアルタイム形式は、実際の上映時間とドラマ内の時間を一致させる手法で、最近ではドラマ「24」が有名。映画史上最も有名なのは『ロープ』で、最も効果的に使用されている(と私が思っている)のはフレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』。読み手が時間をコントロールする小説やマンガでは絶対に出来ない映像手法と言える。同手法を用いた『十二人の怒れる男』のパロディー『十二人の優しい日本人』をはじめ、『ラジオの時間』でも同じ手法を用いているところを見ると、これも三谷幸喜のお好みのようだ。この映画では、当初2時間の予定が10分伸びてしまい、冒頭の時計の針をCGで変えたそうだ。(ただ、そこまでする意味はあまり感じられない)

2006年1月14日公開(2005年 東宝・フジテレビ)


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