公開1年後に「テレビ東京」で鑑賞。
別に怪獣映画の新境地でも何でもない。『ゴジラ』で『ポケモン』やりましたってだけ。
そうでなかったら東宝が企画を通すはずがない。「子供受け」戦略としては間違いじゃない。だから海外配給だって視野に入れたのだ。北村龍平に好きにやらせたわけじゃない。北村龍平一人が好きにやって、これだけの金とキャストを投入できるはずがない。
東宝は「当たる」と信じていたのだ。
東宝が大英断したと仮定するなら、従来「東宝の子飼い監督」と相場が決まっていた『ゴジラ』を外部監督に任せたことにある。既に金子修介で実績があったにせよ、東宝(配給)映画が既に何本かあったし怪獣映画の実績もあった金子修介に比べ、北村龍平は『あずみ』1本である。
この起用は「新しいゴジラを期待した」と想像するに難くない。
だが、「ゴジラシリーズを見切った」という見方もできる。
東宝はもう何年も前に『ゴジラ』シリーズを除いて自社制作を辞め、基本は配給会社に徹している。
つまり、ゴジラシリーズは東宝の看板であり東宝のプライドだったのだ。
その監督を「外部委託」した。そこに、プライドをかなぐり捨てた悲痛な想いさえ感じられる(悲痛な叫びは、金子修介投入、復活後初の併映という時点でピークだったのかもしれない)。
「ゴジラを題材に有名監督がコラボしました」という企画であれば、この北村ゴジラは大成功だろう。だが、そうした企画自体、ゴジラへのプライドが無くなった証ではなかろうか。
そうまでして、東宝は「当たる」ことを願ったのだ。
結果、前作を下回る興行成績。平成ゴジラで最低、全ゴジラ中でも3本の指に入る少ない観客動員数。制作費の回収はおろか、興行収入が制作費の半分程度しかないという大赤字。
「ハム太郎」抜きでよく頑張ったと褒めた方がいいのかもしれないくらい。
最近ではDVDだBSだCSだと収入機会が増え、地上波にやってくるのは数年後であるのが当り前になっている。
だが、結果は丸1年後。それも「テレビ東京」。それは何を意味するか?この映画が世間の目に触れるのは、あとはもう地方ローカル局しかないのである。それだけの商品価値しかないと判断されたのである。
要するに、『ゴジラ』の神通力は消えたのだ。
人類の危機は描かれず、リング上の格闘をブラウン管越しに眺めるかの如き「ゲーム感覚」で、怪獣はポケットモンスターと化す。
『ゴジラ』は『ポケモン』に負けたのだ。
それが現実だ。
ただ、面白かった。
2004年12月4日公開(2004年 東宝)125分
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