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監督:北野武/新宿ピカデリー3/★1(18点)本家AllcinemaOnline公式サイト

わざとスベる笑いで逃げるたけしより、真正面からぶつかってスベる村上ショージの方が立派だと思う。村上ショージが出てるわけじゃないけど。
北野武は「観る者を混乱させる映画にした」と言っている。
まったくもって、理路整然としたバカみたいに分かりやすい話。
その証拠に、私がこれを書いている時点で10コメント付いているが、もう解釈が出尽くしてしまっている。高得点も低得点も、異口同音に似たような解釈をしている。
この程度で本当に「難解な映画」にしようとしたのなら、フェリーニやゴダールや清順って本当に凄い監督なのだな、と思ってしまう。だって奴らは混乱させる気なく面白がってるだけなのに難解な映画になっちゃうんだぜ。

話は、『3−4X10月』をだいぶ後退させた『私の中のもうひとりの私』。
ひょんな事からチャンスを掴んだ男が(間違った方向で)ノシ上がる。あ、『BROTHER』と一緒だ。ノシ上がったはいいが、常に追われる強迫観念に襲われる。それが「北野武自身」だと言っている。要するに「俺なんかムチャしてきたからいつ刺されてもおかしくねえよな」と自嘲しているいつものたけしなのだ。(そしてその自嘲の裏に本気が隠れているのまで見て取れてしまう)

もう少し突っ込むなら、前作『座頭市』辺りから知られざる芸人に「チャンス」を与えてやろうとしているのが見て取れる。浅草芸人出でチャンスを掴んで大きくなった北野武が、後輩達にもチャンスを与えようとしているようだ。
まあ、気持ちは分からんでもないが、金取って見せる映画でやる必要があるのか?「誰でもピカソ」でやってくれ。

さらに突っ込むなら、北野映画はたいがい「自殺映画」である。多くの場合、たけし自身を殺して終わる。今回も例外ではない。唯一違うのは、銃殺でなく「刺殺」であること。これをどう解釈するか。死がより身近に迫っているのか。それも強迫観念の現れなのか。後輩芸人にチャンスを与えようとする試みと併せ、自身の引退すら予感させる。

こうした「私小説」的な映画は決して嫌いではないはずだし、スベるギャグもわざとやっていることが分かるので面白がれそうなのだが、あまりにも理路整然と一本調子なもんだから、もう本当にツマランでツマランで。銃撃戦が星座になった時には席を立とうかと思ったぞ。

私が北野映画を好きな理由は「痛い」からである。肉体的にも精神的にも「痛み」を伴うから。ところがこのオチでは痛くない。映画自体は監督自身の「痛み」を盛り込んでいるのだが、監督が痛がっているほど観ているこっちは痛くない。だって自らの痛みを「夢」とわざとスベる「笑い」で逃げているから。照れと言えば聞こえはいい。だがこれは逃げだ。

つーか、それ以前にマジつまらん。

2005年11月5日公開(2005年 松竹=オフィス北野)


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