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サマリア




監督:キム・ギドク/飯田橋ギンレイ/★3(52点)本家gooDB公式サイト

正直、良い映画だと思うのですが、ぶっちゃけ、私には理解できないことが多すぎます。
イマイチ気持ちが分からんのですよ。幸か不幸か女子高生とえっちしたことないのでその気持ち(良さ)が理解できません、ということではなくてですね、主役はともかく、細部の感情の流れ(特にチョイ役)が全然理解できません。
それが韓国人特有のものなのか、この映画特有のご都合なのか分かりませんが、どんな衝撃的な内容を聞かされようが、エンコーの直後に自分の娘に電話するなんて、よほど面の皮の厚い奴ですよ。映画的には改心の描写なんですが。エンコーを家族の前で咎められた(辱められた)ぐらいで自殺するなんて、こちらは極端なノミの心臓ですよ。

そして最大の疑問は、どうしてこういう構成なんだろうか、ということです。
どうして少女視点を放棄してしまうんだろう?と。
いや、最終的な監督の意図は分かるんです。
人生に見立てた蛇行する車を「神視点」で見下ろす意図は分かるんです。

ただ父親視点がね、いや、父親視点があってもいいし、それはそれで斬新なんですが、冒頭からずっと続いてきたヨジン視点がまるで無くなっちゃうでしょ。
実は私が非常に興味深く見守っていたのは、少女二人の関係と、そこから派生したヨジンの贖罪の道なのです。

ところがそれを邪魔され始める。来ない。自動車に石を投げられる。とうとう殺人まで。
それをヨジンが何も思わないはずがない。ただのエンコーじゃない。贖罪なのだ。彼女の中に疑問や葛藤や悩みが生じなければならない。
それなのにそこは何も描かない。
夜中に抜け出して泣いたのは、あくまで結果。
その過程の心理は何も描かれていない。

感情移入を拒否するような突き放した視点は分かる。観客に判断を委ねることも分かる。
だが、描かないのは訳が違う。
実はホウ・シャオシェンでも思うことなのだが、アジア圏リアル・アート系監督(<勝手に命名)に多い傾向のような気がしている。
そして最近、それは監督の「逃げ」なんじゃないか?と思うようになってきた。

2005年3月26日公開(2004年 韓国)95分


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