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PE'Z REALIVE TOUR 2005 春 〜テノナルホウヘ〜

at:渋谷CLUB QUATTRO

「力一杯やる。本編で満足させる」と、アンコールをやらないPE'Zの満腹ライブ。

昨年冬に続いて4度目。一昨年から、ツアーをやれば必ず行っている。

回数を重ねているうちに、客がこなれてきたのが面白い。
プレイヤーと客の呼吸が、JAZZのそれに非常に似てきたのだ。
彼らも「客の密度が濃い」と言っていたが、観客を煽ったりすることもないのに、自然とリズムに体が動く。いいプレイには歓声が上がる。非常に自然な流れでプレイヤーと観客が一体となっている。

こなれてくることの大切さは、意外な形でPE'Zが証明してしまった。
今回のツアー四十数カ所、毎回1つカヴァー曲をやるという。この日は「学園天国」だった。小泉今日子バージョンではなくフィンガーファイブバージョンだという。変わりはないが。
カヴァーをやると上手い下手が如実に出る。もちろん向き不向きもあるのだが。PE'Zは巧い。メチャメチャ巧いことを再認識する。巧いし、観客も盛り上がっているのだが、所詮付け焼き刃の「やってるだけ」演奏。彼らの中で「こなれて」消化(昇華)されたものではない。
PE'Zにはいくつかカヴァー曲がある。この日も演奏した「リカルド・ボサノヴァ」や「『タクシードライバー』のテーマ」、また今回は演奏しなかったが「A Night in Tunisia」や「かもめが飛んだ日」、作曲者から発売を差し止められ今や幻となってしまった合唱曲「大地讃頌」など。これらのカヴァー曲は完全に「PE'Zの曲」になっている。アレンジがどうのという問題ではなく、掌中に収めているからこそ自分のスタイルでプレイできるのだ。

これは、音楽に限ったことではない。映画でも小説でも絵画でも写真でも。「学ぶ」ことは「真似る」から始まると言うが、一流の技は「真似」を「消化」し「昇華」しているのだ。例えばカウリスマキの小津昇華だな(<例えが分かりにくい)。

惜しむらくは「Hale no sola sita」をちゃんと演奏してくれなかったことだが、満腹満腹。

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