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ヴィタール




監督:塚本晋也/新宿K'sCinema/★4(72点)本家gooDB公式サイト

決してトリッキーな作家ではない「映画的常識人」塚本晋也。その手口にはいいかげん慣れてるはずなのに、相変わらず見事な「居心地の悪さ」を体感させてくれる。
製作・監督・脚本はもちろん、撮影や美術、(今回は違ったが)照明や時には自ら出演(しかも巧い)もする「手作り作家」塚本晋也。本作は渋谷と新宿2館の上映だが、私の行った映画館にはこんな貼り紙があった。

「監督の指定した音量で上映しています」

映画館の音量にまで口出すか!これを制作者の熱意ととるか傲慢ととるかは各人マチマチだろうが、少なくとも生半可な気持ちで映画に取り組んでいる人でないことだけは確か。

塚本晋也は、特異な設定故トリッキーな作家に見られがちだが、それは彼が描くのが常に“SF”だからにすぎない。しかし決してSFに甘えることはない。彼が描くのは常に人間だ。その人間の感情はいたって自然だ。痛いほど自然だ。男は常に孤独で、空を見上げて総てを悟る。
そしてこの点が「映画的常識人」と呼ぶ所以なのだが、最後は必ず話を収束させる。投げ出したり肥大化させて収拾つかなくなったりすることはない。(正確には収束させようと努力してるだけだけど)

冒頭から観る者を不安に陥れる音楽と短いショット。塚本晋也の映画はだいたいいつも同じだ。しかしそれは決して手慣れた安易な方法なわけではない。本気だ。常に本気だ。本気汁を垂れ流している。従って、彼の映画は本当はスカした渋谷にゃ向かないのだ。新宿、いや、池袋、いいや、彼の上映デビューの地である中野が最もふさわしい場所なのだ。塚本晋也は中野ブロードウェイだ(<意味不明)

さて、どうせ誰もこの映画を観ないから読まないだろうとタカをくくって長々レビューを書いてみる。

「都市と肉体」をモチーフに映画を作り続けてきた塚本晋也は、前作『六月の蛇』から肉体中心へと移行していく。そして本作は遂に「肉体の中」。とうとう沖縄ロケまで敢行する。
いわゆる天国的イメージで沖縄ってどうなのよ?とも思わないでもないが、それは「都市と肉体」を描き続けた前歴との対比。ただ単に「都市」を描いている訳ではなく、ただ風景として配置しているわけでもない。あくまで「都市と肉体」。だからこそ彼の映画は暴力的なのだ。そう、風光明媚な景色に暴力は似合わない。むしろ、都市が暴力を産むと言っても過言ではない。だから、主人公の安堵の地は都市から離れなければならなかったのだ。

そしてさらに塚本晋也は、物理的な「肉体の中」と精神的な「人間の内面」をシンクロさせようとする。
この画期的な本気汁の垂れ流しは分からんではない。分からんではないが、さすがにそれはどうかと思うぞ。
心臓バクバクしながら観ていた。次々と現実の女は去っていき、相変わらず男は孤独にさらされ、圧倒的「不安感」の中、俺の内蔵がどうかしてしまうんじゃないかと思うほどバクバクしていた。

しかし正直、それも中盤まで。いや、決して悪くはないのだ。だが、物語を収束させようとする「映画的常識人」の生真面目さが裏目に出る。おそらくこの映画を観た人は「どこが!」と思うに違いない。しかし俺には分かる。これは彼の生真面目さの裏返しなのだ。決して逃げではない。ビックリすることに、観終わってみれば、案外普通の話だったりするのだ。

2004年12月11日公開(2004年日)


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