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アイデン&ティティー

監督:田口トモロヲ/渋谷シネセゾン/★2(38点)gooDB

若くしてアイデンティティーを確立してしまったMJらしいDT臭い話。
MJことみうらじゅんについて私が知っているニ三の事柄から推測するに、彼は若くしてそのアイデンティティーを確立したと言わざるを得ない。
小学生にして仏像に興味を持ち始め、高校生にしてボブ・ディランに憧れ400曲ものフォークを作っては自室のカセットテープに録音していたが、気がつくと東京は「TOKIO」となり皆がテクノカットの中一人ロン毛で『ラスト・サムライ』と化したそうである。
社会と関わる以前に妄想の中で自己を確立してしまっていた彼を山田五郎先生は「童貞をこじらせた」と呼び、「青春ノイローゼ」とMJ自ら認めたのは、なんと2003年、みうらじゅん45歳の時である。

そのせいだろう、本作もまた大真面目にDT(童貞)臭い話だ。

第一、人と人との関わり合いが無い。
メンバー交代の話も浮気のエピソードも総て、ただ一人悶々と「机上の空論」として語られるのみで、人間と人間のぶつかり合いがない。そこには生活感もなければ生きることへの必死さもない。なにしろ彼女はあまりにも「超人」すぎやしないか。

劇中でも語られているが、MJ自身、貧しくも裕福でもない「中産階級」でヌクヌクと部屋にこもって育ってしまったが故なのだ。ロックロックと口では言うが、それを手段として語るべき物がない。

それはそのままこの映画にも影を落とす。
バンドを趣味とするクドカンの脚本を監督したのはバンド出身の田口トモロヲで、ここで描きたいのは、愛でも自己でも青春でもなく「バンド」なのだ。
それはそれで悪いことではないが、こちらが観たいのは、映画が好きで好きで仕方がない奴が作る「映画」であって、そんなにロック、ロックと言うならロックで語ればいいのにと思ってしまった。結局最後は「語り」かよ。ディランはハーモニカで語っているのに、彼自身のギターは何も語っていないではないか。
もっとも語れるようなギターだったら売れてるか。

余談
麻生久美子は真行寺君江みたいになってほしいなあ。

2003年12月20日公開(2003年日)118分


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