古厩智之作品を観るのは『武士道シックスティーン』以来10年ぶり(その間、学生時代の自主映画「灼熱のドッジボール」を観てるけど)。
ハリウッド的ドラマツルギーの濃い味付けに慣れてる人には薄味に感じるかもしれませんが、映画的情景に溢れたいい映画です。
原作がどうなのか知りませんが、今時ウケする濃い味付けも可能だったはずです。
もっとスポーツ万能、もっとダメっ子、もっとオタクや不思議ちゃんなど、戯画化したキャクター設定だって出来たはずです。
もっと過酷な試練を与えて、いじめられたり、親が反対したり、強力なライバルが出現したりして、「これでもかっ!」ってストーリー展開だって可能だったはずです。
カメラだって、高さを表現するためにクレーンで上下するとか、ボルダリングをしている小寺さんの視線ショットとか出来たはずです。
でもこの映画は、そんな下品な味付けはしません。
カメラは、小寺さんの登る姿を見上げることはあっても、彼女視点で見下ろすことはありません。
つまりこの映画は、小寺さん側ではなく、小寺さんを見る側に観客を置いているのです。
言い換えれば、観客は他のクラスメイトと同じポジションで、小寺さんの「ひたむきさ」を見つめることになるのです。
そこにあるのは、トリッキーな濃い味付けとは無縁の、普通の平凡な高校生活なのです。
その視点で「ひたむきさ」を見守るのです。
やがて我々は、見えない“壁”の前で右往左往する迷える子羊たちが、感化されて自らも「ひたむきさ」を求め始める姿も目にすることになります。
説教めいた言葉も教訓めいた御高説もありません。決して誰もが成功するわけでもありません。それが普通なのです。実に誠実な映画だと思います。
『武士道シックスティーン』もそうでしたが、古厩監督は「迷える子羊とひたむきさ」が上手い人なのかもしれません。少女たちに向ける古厩監督の視線がナチュラルなのも好感が持てます。
正直言って、オジサンには眩しい話です。
しかし決して「クーッまぶしー」という懐古趣味でも青春賛歌でもないと私は思うのです。
その理由もカメラが証明してくれます。
カメラはギラギラした日差しを撮りません。逆光も使いません。「眩しさ」は切り取らず、常に「優しい光」を映しているのです。
(たぶん、握手を求める友人の手を払った時だけ、雨が降っていた気がします)
余談
高校生モノということでは『桐島、部活やめるってよ』が想起されますが、あれは「学校内ヒエラルキー」を描いた、ある種の「社会の縮図」だったんですね。
しかしこの映画は、社会とか世間とかシガラミとか無関係に、「ひたむきさ」だけを真正面から捉えている点でだいぶ違うと思うのです。そういった意味で、私の中では『がんばっていきまっしょい』の方が近い。
2020年7月3日公開(2020年/日)
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