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「ミス・シャーロック/Miss Sherlock」



録画していたHuluオリジナルドラマ全8話をつい一気見。
日本のミステリードラマに関する一考察。


公式サイト
以前第1話だけ観た際にやたら面白かったので、チャンネルNecoの一挙放送を録画していた。やっと鑑賞。一気見してしまった。

私はソコソコのミステリーファンです。しかし“日本の”ミステリー“ドラマ”限定。それでも「無類のファン」と名乗れれば格好いいのですが、所詮“ソコソコ”でしかない。

そのソコソコの知識の中でも、面白いミステリードラマとそうでもないものが存在する(当たり前だ)。何がその成否を分ける要因なのだろうかと考えを巡らせているうちに、面白さの要因は見つけられなかったのだが(見つけられなかったのかよ)、3つのキーワードが見えてきました。

「女性」「コンビ」「本格推理」

これらについて、ソコソコの知識の中でソコソコ長く無駄に語ってみたいと思います。

キーワード1「女性」

女性主人公のミステリーが増えてきた、という論旨です。
例えば本作『ミス・シャーロック』(2018)の主人公探偵を演じた竹内結子は、他にも『ストロベリーナイト』(2010)で刑事、『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』(2019)では弁護士で主役を務めています。どれも傑作。竹内結子とミステリーの相性は片平なぎさ以上にいいのかもしれません。
石原さとみが法医解剖医を演じた『アンナチュラル』(2018)は超傑作。
その劇中で「科捜研がやるんじゃないんですか?」「沢口靖子は忙しいの」という台詞がありますが、『科捜研の女』は1999年から続く人気シリーズで「第21回みうらじゅん賞」を受賞したことは皆さんご存知の通りです。

この「女性主人公ミステリー」には2つの系譜があると思います。
一つは、いわゆる刑事や探偵といった謎解きを職業としている者。実はこの歴史はそう古くない(と思う)。

探偵家業を『女には向かない職業』とP・D・ジェイムズが言い放ってコーデリア・グレイを生み出したのが1972年。サラ・パレツキーが『サマータイム・ブルース』でV・I・ウォーショースキーを世に送り出したのが10年後の1982年。
私のソコソコの記憶が確かならば(ソコソコの段階で確かなはずがない)日本のドラマではさらに10年以上後になります。『沙粧妙子 - 最後の事件 -』(1995)。さらに約10年後に『アンフェア』(2006)。いずれも時代は平成。決して古い歴史ではないのです。

一方、「素人探偵」というジャンルもあります。
前述した弁護士や解剖医も刑事や職業探偵ではありませんが、事件と無縁の職業ではありません。言い換えれば「謎解き」できるポジションにいる。しかしここで言う「素人探偵」は本来事件とは無縁のいわば趣味人なのです。
そしてこのジャンルでは、女性の活躍が多く、そしてその歴史は古い。
すぐ思い付くだけでもアガサ・クリスティー『ミス・マープル』まで遡ることができます。
ちなみに海外で何度かドラマ化されていて、山岡久乃、岸田今日子、草笛光子、藤田弓子の日本語吹き替えがパッと思い付きますがここでは関係ない話。
むしろ注目すべきは、日本のミステリードラマにおける女性素人探偵の歴史は、連ドラではなく2時間ドラマで育まれてきたという点にあります。

何が起源なのか正確なところは分からないのですが、私のソコソコの知識で思い付く有名女性素人探偵は市原悦子『家政婦は見た』シリーズ。
実は1983年(昭和58年)に放映された第1作の原作は松本清張。タイトルは『松本清張の熱い空気』。テレビ欄のサブタイトルに「家政婦は見た!夫婦の秘密のウンヌンカンヌン」と書かれていたそうです。以後、サブタイトルだけ残って松本清張とは無関係に家政婦は暴走し、やがて葬儀屋やらバスガイドやら温泉旅館の女将までもが事件に首を突っ込んでいったのであります。日本の警察は何をしとるんだ。

『ミス・シャーロック』は前者「女性の職業探偵」の系譜に当たります。
この2系譜の流れを見れば、女性の社会進出という時代背景と無関係ではないことはすぐ分かるでしょう。

ミス・マープルも家政婦もオバチャンならではの好奇心と図々しさで事件に首を突っ込みますが、「オバチャンならでは」というのはある種の女性らしさとも言えます。
やがて、男と肩を並べて戦っても「女には向かない職業」と言われる時代を経て、職業として捜査権を手にする時代に至りますが、その過程では女性らしさを捨てて「男勝り」であることが求められるようになります。沙粧妙子も雪平夏見もV・I・ウォーショースキーも。
実は竹内結子ですら『ストロベリーナイト』の姫川玲子はそうでした。

しかしここ最近、情勢はグッと変わりつつあります(もちろんまだまだ「男勝り型」は多数いますが)。
この『ミス・シャーロック』竹内結子はどちらかというと中性的な印象を受けます。
その後演じた『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』の竹内結子は女性であることを楽しんでいるように見えます。
決定打は‎野木亜紀子が生み出した超絶傑作『アンナチュラル』。「男らしさ/女らしさ」といったものを超越して「自分らしさ」が生き様になる時代を見せてくれたような気がします。

キーワード2「コンビ」

刑事ドラマはバディ物が多くあります。「相棒」(2000-)というそのものズバリのタイトルもありますが、buddyは「男同士」という意味合いもあるようなので、ここでは「コンビ」というキーワードにしました。

私が好きだったコンビミステリードラマを挙げてみましょう。
『ケイゾク』(1999)、『トリック』(2000)、『SPEC』(2010)、『スリル!』(2017)。そして本作『ミス・シャーロック』(2018)。

実はこれ系統が少なくて、『ケイゾク』の続編が『SPEC』で脚本は西荻弓絵、『トリック』と『スリル!』は脚本が蒔田光治。2系統しかない。
あー、『スリル!』知らないか。警視庁庶務係の小松菜奈といつも小松菜奈に経費処置の不備を指摘される刑事・小出恵介コンビが事件を解決するNHK制作でDVD発売が中止になり一度も再放送されない幻のドラマ(なぜ幻となったかは分かるよね)。蒔田光治が制作統括まで務めて、コミカル小松菜奈ちゃんを堪能できる「『トリック』再び!」を如実に狙った傑作です。
ちなみに蒔田光治とNHKはその前にも、数学大好き天才女子大生・橋本愛と刑事・高良健吾のコンビ物『ハードナッツ!』(2013)で「『トリック』再び!」をやっています。

少し話が脇道に入ってしまいましたが、そもそもなぜ刑事物にコンビが多いのかについて触れましょう。

おそらく日本における原型は、野村芳太郎の映画『張り込み』だと私は思っています。
松本清張の原作(また!)では1人だった刑事を橋本忍脚本がベテランと若手の刑事2人に変更しています。この意図は、ベテランが若手に説明する体で観客に説明するためです。
この「ベテランと若手」という構図は後にありとあらゆるドラマで多用され、「コンビの会話を通して観客に説明する」という手法は、上述したコンビミステリーはもちろん、ありとあらゆる場面で踏襲されることになります。

もちろんこの手法は、ホームズとワトソン、ポアロとヘイスティング大尉といった関係でも見られます。しかしホームズやポアロはバディ物とは呼べないでしょう。むしろその助手の役割は「語り部」。本当にストーリーテリングの「助手」なのです。
また、バディ物はどちらが欠けても成立しません。だから相棒がシリーズで交代してしまうような名ばかり相棒は「右京とゆかいな仲間たち」であって相棒の風上にも置けません。まだ『トミーとマツ』の方が正しい。

さて、上述した『ケイゾク』『トリック』『SPEC』『スリル!』『ハードナッツ!』すべて「男女」のコンビ物です。
今では珍しくない男女コンビですが、『ケイゾク』『トリック』以前に何があっただろう?あまり記憶がありません。2時間ドラマの女王=片平なぎさと2時間ドラマの帝王=船越英一郎がライターとカメラマンとして共演した『小京都ミステリー』シリーズ(1989-2001)くらいしか思い出せない。
実際、ホームズもポアロもドルリー・レーンもエラリー&クイーンも明智小五郎も金田一耕助も神津恭介も、女性は被害者か犯人か下宿先の主人くらいの扱い。とても「コンビ」などという男女対等の立場で扱われることはない。

実はアガサ・クリスティが『トミーとタペンス』という夫婦探偵物を書いているのですが、今にして思えばとても珍しいことだったように思います。しかし、割と人気があるにも関わらず映像化されたのはごく最近、『トミーとタペンス―2人で探偵を―』(2015)くらいしかない。それ以前は、無理やりドラマ『ミス・マープル』のエピソードに翻案されたりしていました。それくらい「男女コンビ」はニーズがなかったし、逆に言えば「オバサン探偵」「夫婦探偵」という後につながる設定を生み出したクリスティはすげーなって話です。

男同士のバディ物は「どちらが欠けても成り立たない」というのが私の持論ですが、男女コンビの場合はどうでしょう?

私が思うに、重要なのは「二人の距離」。
その距離の変化が連続ドラマ(あるいはシリーズ)の軸となっている。正しくは、悪の根源に迫るのが縦軸、二人の関係が横軸といったところでしょうか。
これは男女の関係に限らず、男同士、女同士でも同じです。ただ、男同士の場合は見落とされがちで、(特に日本では)男二人が出ていてもその距離が描かれない場合が多い。バディ・ムービーはアメリカに多いけど、日本映画は孤高のヒーローが多い。
そして先に挙げた(私の好きな)コンビミステリードラマは、決して男女が結ばれてめでたしめでたしという展開ではない。なんなら男女の間柄すら、そのエッセンスを匂わせる程度しか見せない。そこがいい。

本作『ミス・シャーロック』は女性二人のコンビ物です。
本家シャーロック・ホームズは全然コンビ物とは呼べませんが、『ミス・シャーロック』は“本格”コンビ物です。
ネタバレになるので詳細は避けますが、シャーロックと和都さんの関係無しにはこの話は成り立ちません。見事なコンビ物です。

ついでに言うなら、最近少し海外ドラマであるようですが(見ないからよく知らない)女性コンビのミステリーというのはまだまだ少ないように思います。
そうした面では先進的なドラマでした。

キーワード3「本格推理」

世界初の推理小説はエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』だと言われます。
いきなり犯人を明かすという酷いネタバレを書きますが、猟奇殺人事件の犯人がオランウータンなんですね。なんだそれ!?それが推理小説かっ!って読んでから20年以上モヤモヤしていました。
ある時、推理作家・島田荘司の講演を聞いて納得したのです。
世界初の警察組織=スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)が1829年に創設。アメリカで警察組織が部分的に組織され始めたのが1830年代。そんな時代の中、『モルグ街の殺人』は1841年に発表されました。日本は天保12年です。天保!?ちょうど天保の改革の真っ最中!

江戸時代に置き換えたのは重要でね、この当時の「捜査」を時代劇知識で想像してみましょう。
岡っ引きが怪しい下手人をしょっ引いて拷問して自白させる。
この捜査方法では人間以外の犯人はあり得ないんですね。
ところが捜査が科学的に行われれば「犯人はオランウータン!」ということだってあり得る。
そうした科学捜査の可能性と期待を込めて『モルグ街の殺人』は書かれたのです。

そう考えると、「シャーロック・ホームズ」シリーズ(1887-1927)やアガサ・クリスティ作品(1920-1973)が結構「怪奇現象」を取り扱ったものが多く、「実は怪奇現象なんかじゃなくて説明可能な人為的なものでしたよ」という展開が多いのも頷けます。
これをそのまま現代的に可視化したのが、『トリック』であり東野圭吾の『ガリレオ』だったと私は思うのです。

本当は江戸川乱歩もちゃんとした推理小説を目指していたのです。ところが日本では「実は怪奇現象はなくて・・・」の「怪奇現象」だけが受け入れられてしまった。そりゃそうです。当時の日本では科学的捜査が一般大衆に理解されなかった。何故なら日本は相変わらず「下手人しょっ引いて拷問で自白」捜査が続くから。
(実際、同時代では江戸川乱歩よりも「銭形平次」や「遠山の金さん」といった、後の時代劇の中核となる捕物帳物や奉行物が売れたそうです。)
日本に科学的捜査が展開されるようになるのは戦後。スコットランド・ヤードから遅れること100年以上。こうした状況下で明智小五郎は生まれ、江戸川乱歩は“売れる”猟奇趣味的描写を多く求められたのです。

売れたことで江戸川乱歩は推理小説や探偵という存在を日本に広めました。しかし「探偵小説」は低俗だと言われ扱いが低かった。
それを文学の域にまで引き上げたのが松本清張です(またまた!)。
1960年代には松本清張ブームが巻き起こります。しかし、これが逆に曲者でね。
いや、松本清張が悪いんじゃない。松本清張の劣化版コピーが氾濫したことが問題なのです。ブームの弊害。

松本清張作品に名探偵は存在しません。一般人がふとしたことから犯罪の可能性を疑ったりします。『家政婦は見た』に代表される「素人探偵」はこの系統に当たります。
また、名探偵がいないので、謎解きやトリック破りが見せ場ではありません。名探偵はトリック好きだよね。金田一耕助のデビュー作『本陣殺人事件』や神津恭介のトリックなんかもうピタゴラスイッチだもん。
その代わり松本清張は心理描写に重きを置きます。
犯人の視点でその(小市民的)心理を描いたり、ピカレスク小説的に『わるいやつら』を描写したり、犯罪に至る悲しい背景を描いたり。これが推理小説を文学の域にまで高めた要因であり、逆に成れの果てとして犯人自ら崖の上で余計なことまで自白する2時間サスペンスに至るのです。

私はこれを「叙情派ミステリー」と呼んでいるのですが、松本清張原作・野村芳太郎監督の『砂の器』(1974)が草分けだと思っています。松本清張の文学的要素を脚本の橋本忍と山田洋次が叙情的に仕上げた。映画の後半約1時間に渡って繰り広げられる謎解きはトリック破りなどではなく、犯人の半生を描写することに費やされます。しかし犯人は一切自白なんかしません。なんなら関係者までも「オラそんな奴知らねえ!」と否認したりします。

この「叙情派ミステリー」と、やはり松本清張を源流とする「素人探偵」が融合した「劣化コピー版」が、世にはびこる日本のミステリードラマの主流です。こうした「お茶の間ミステリー」(私の勝手な命名)は2時間サスペンスを主戦場としています。

では、連ドラでの流れは何だろう?正直、分かりません。
『太陽にほえろ』や『西部警察』は「刑事ドラマ」というジャンルで、ミステリーというよりアクション・ドラマでした。
実は大正・昭和初期に流行った「銭形平次」や「遠山の金さん」といった捕物帳や奉行物は、「シャーロック・ホームズ」に刺激を受けて書かれたものだそうです。それらが後に時代劇としてドラマ化される。つまり、時代劇こそが本格ミステリーの流れだったようなのです。なるほど、時代劇こそ「殺人事件」から話が始まるのはそのためだったのか。
しかし時代劇から本格ミステリーに戻ることはありません。

刑事ドラマは古くから多数作られ、アクションもミステリーもゴッチャで(むしろアクション主流で)発展したように思います。近年では警察ドラマとして「組織」を語るドラマも多くなりましたし。でもそれも必ずしも本格ミステリーではない。例えば『踊る大捜査線』を本格推理ドラマと呼ぶ人はいないでしょう。

つまり、本作『ミス・シャーロック』に至る近年の(私好みの)ミステリードラマは、松本清張劣化版コピー叙情派お茶の間ミステリーから、本格推理ドラマへ移行しているのです。
日本のドラマ的には進化、推理小説的には回帰と言えるかもしれません。
まあ、『ケイゾク』は次第に(『SPEC』は早々に)推理物から離れていきますが、私は『トリック』(2000)が大きな転機だったのではないかと睨んでいます。
パロディなどの過度なコメディ要素や特異なカメラワークといった味付けが濃いのですが、タイトル通りトリック破りのミステリーが主軸だったのです。
『ミス・シャーロック』は、シャーロックを名乗っている以上本格推理物でなければなりませんし、むしろ「女性探偵で本格推理」のためのシャーロックだったように思います。

なぜ本格推理ドラマに回帰しているのでしょう?
おそらく、もはや現実の殺人事件を考えるに、「叙情派」が通用しなくなっているのではないでしょうか。

おっと、今日は『美食探偵 明智五郎』(2020)の日だ。
これねえ、中村倫也と小芝風花のコンビ物でありながら、中村倫也と小池栄子先生の『黒蜥蜴』物なんですよ。


2018年 Hulu×HBO Asia共同製作



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