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金田一耕助の冒険



大林宣彦追悼で鑑賞(<何故この映画?)。超豪華低予算チャンチャカチャン映画。当時じゃ分からなかったこと、当時じゃなきゃ分からないこと。
監督:大林宣彦/Amazonプライム・ビデオ/★4(70点)本家
積年の課題映画。実は観てなかったんです。
三船金田一を観てみたかったんですよね。高倉健の金田一耕助も観ているくらいの謎の金田一好きだから。もちろん渥美清や西田敏行、中尾彬の金田一だって観てますよ。ああ、でも古谷一行は観たことなかった。これが初めて(笑)。マジで。

意外に思われるかもしれませんが、基本的にこういうバカ映画は嫌いなんです。でも歳をとったせいなのか、制作から年月を経た作品のせいなのか、許せるようになった。

ほぼリアルタイム世代の私でもさすがに覚えていないくらい、当時じゃなきゃ分からないネタが多すぎる。
麦わら帽子が飛んで岡田茉莉子が出てきてカレーを食べる。『人間の証明』のパロディーは分かるけど、当時岡田茉莉子がカレーのCMに出てたなんて覚えてねーよ。なにその二重三重のネタ。その膨大なパロディネタはウィキペディアに詳しく載ってるから、興味ある人は見てくださいな。

ウィキペディアに書いていないことを挙げるとすれば、富士急ハイランドのクダリについて「ヒッチコック『見知らぬ乗客』へのオマージュ」と書かれているけど、変な巨大な樽みたいな乗り物(ローターって言うんだって)がトリュフォー『大人は判ってくれない』のオマージュとは書かれていない。
これ、ただの気付いた自慢じゃなくて、重要ポイント。

大林宣彦は自主制作映画監督の草分けであることは改めて言うまでもありません。
この映画に初期森田芳光の匂いがするのはそのためです(この映画の2年後に森田芳光は劇場デビューする)。

青春時代を8mmフィルムに費やした大林青年も、映画会社に就職せずに撮影所システムの洗礼も受けずに映画監督になれるとは思っていなかった。実際、映画の道は諦めていたそうです(自身の肩書も映画監督ではなく「映画作家」と死ぬまで名乗っていたのもそのため)。
ところが丁度その頃ヌーヴェル・ヴァーグがやって来る。ゴダールやトリュフォーを観た恭子夫人が言ったそうです。
「なんだ、あなたがやってることと同じじゃない」。
(大林宣彦が当時の彼女=後の恭子夫人を主演に撮った傑作自主映画「絵の中の少女」が1958年。トリュフォー『大人は判ってくれない』やゴダール『勝手にしやがれ』は1959年)。
つまり、自主映画作家大林宣彦にプロの道を歩む勇気を与えたのは(恭子夫人と)ヌーヴェル・ヴァーグだったのです。だからこの映画の中に『大人は判ってくれない』へのオマージュがあっても不思議じゃない。第一この映画自体がまるで『地下鉄のザジ』みたいじゃないか。

これはむしろ「当時じゃ分からなかった」ことなのです。

私がこの映画で「今だから分かる」と最も感じたのは、つかこうへい『熱海殺人事件』臭。いやもう、終いにゃ金田一耕助じゃなくて木村伝兵衛に見えたもん。
この映画で「ダイアローグ・ライター」なる仕事を担当したつかこうへい。自分の劇団で芸能界デビューさせた熊谷真実と本作の翌年に結婚する関係にありました。この映画のヒロインは、その妹=熊谷美由紀。後の松田優作夫人。つかこうへいの推薦だったそうです。これが彼女の映画デビュー作。そしてこの映画、地方では松田優作『蘇える金狼』と2本立てでした。
まるで金田一映画のような「因縁」。

余談(全部余談みたいなコメントなんだけどさ)

この映画を(私が)飽きずに観られた要因は木村大作のカメラのような気もする。
おそらく大林宣彦と木村大作のコンビというのは、これが最初で最後ではないだろうか?
実は私は「ドヤッ!」感のある木村大作カメラがそれほど好きじゃない。
でもこの映画の撮影は好きだ。奥行きの広がりとか、安定した画面を飽きずに観ていられる。
もしかすると、この映画の「過ぎたオフザケ」が木村大作の「ドヤッ!」感を中和し、逆に無駄に大作感のあるカメラがこの映画の「いたたまれなさ」を中和しているのかもしれない。



(1979年 角川)

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