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ジョン・F・ドノヴァンの死と生



私小説世界の住人だったドランが世界と繋がろうとした結果、やたらベタな気がするのは俺だけか?

監督:グザヴィエ・ドラン/恵比寿ガーデンシネマ/★3(67点)本家公式サイト
「お前、平成生まれじゃん!」でおなじみ天才ドランも、令和になって少し方向性が変わってきたように思います。
いやまあ、そもそも作品毎にアプローチ法が違う監督だし(設定は類似点が多いけど)、日本の元号なんかまるで関係ないんだけどね。

劇中、インタビューイがインタビュアーに物申すシーンがあります。個人の問題も世界の問題も、その問題とこの問題は根底が同じなんだ、といったようなことです。

この映画のテーマ自体がそこにあると思います。

これまでドランは、まるで自分の人生を切り売りするように、私的な物語を紡いできました。しかしその「マイノリティ」の物語は個人的な問題にとどまらず、世界の差別問題につながっている。たぶん、そう主張したいのだと思います。

その主張のために、この映画は「メジャー」を意識した作りに見えます。
作品そのものが(シネフィル向けでなく)世界につながろうというアプローチ法なのでしょう。実際、ナタポー、スーザン・サランドン、キャシー・ベイツといったハリウッドキャストが脇を固めます。

しかし世界とつながろうとした結果、これまでドラン作品を観てきた者の目には「ベタ」に映るのです。

アデルの依頼で「Hello」のPVを撮ったという縁があるにせよオープニング「Rolling in the Deep」はドメジャーすぎるし、誰かのカヴァーバージョンとはいえ「スタンド・バイ・ミー」でスローモーションとか、「おいおい!お前、そんな奴だったか?」と言いたくなる。

いや、そんなことはまだ些末な問題。

従来の作品に比して、圧倒的に台詞が多い。
「語らない」こと(なんなら不親切で分かりにくいくらい)がドラン作品の魅力だったのに。
分かりやすくカッコイイことを語ろうと言葉を尽くす。そんな必要ないのに。

あるいは設定。
どの作品も類似点が多いと前述しましたが、同性愛であり、父親不在の物語であり、うざったいけど母親はありがたい、という物語がほとんどなのです。
しかしこれまでは、同性愛設定でありながら相手の男性を描くことはほとんどありませんでした。ところが本作は男性関係を丁寧に描きます。おそらくその方が一般的に理解しやすいからだと推測されます。
また、自身の同性愛と母親との関係はある意味表裏一体だったのに(『Mommy/マミー』では発達障がいに置き換えられたが)、この映画では完全に分離させてしまった。
おそらく、その方が一般的に理解しやすいから。

事程左様にこの映画は、まるでグザヴィエ・ドラン的素材をハリウッドリメイクしたかのように見えたのです。いや、画面作りとかは相変わらず上手いんだよ。
逆に言えば、何故これまで男性関係を直接描写しなかったのだろう?と考察するきっかけにはなりました。

余談

その(私の勝手な)考察。
おそらく、相手の男性を描かないのと父親不在は根底が同じなのです。
こう書くと、父親から得られなかった愛情の代替のように思えちゃうな。そうじゃない。
ドラン映画に登場する男性は、主に兄で、主人公を責める側の人間が多い気がします。
言い換えれば、既存の(古い)価値観の象徴。あるいは権威とか因習とか、世間体と言ってもいい。
そこと戦うのがドランの描くべき物語であり、本作『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』のテーマにも通じるのです。
おそらく、もっと巨大な権力の象徴として「父親」が登場して、万一、主人公のマイノリティーを認めたり許したりしちゃったら、ドランが描くべき物語は終焉してしまうのだと思います。
そしてもう少し余計なことを書くなら、ドランの描く女性=主に母親(『わたしはロランス』では元カノに置き換えられますが)は、非力でうざったいし当人も苦悩しているけど、希少な理解者として存在することが多いように思えます。



日本公開2020年3月13日(2018年/カナダ=英)

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