September 2020  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

この世界の(さらにいくつもの)片隅に



タンポポ薄め、右手多め、説明マシマシ。欲してたのはこんな味じゃない。

監督:片渕須直/TOHOシネマズ西新井/★3(65点)(本家/公式サイト
この手の完全版とか作り直しとか再編集映画には新しい味を求めてないんです。あの時と同じ味のままトッピングが増えることを期待しているんですよ。

ところが、味そのものが変わっちゃった印象なのです。
私もすずさん並にボンヤリしているので、何が前作にあったシーンで何が追加シーンなんだか記憶が曖昧なんですがね。ま、あくまで印象論で。

私は前作のキーワードの一つに「喪失」を挙げていて、「空想少女すずさんは、唯一の取り柄であった絵を描けなくなることで、空想世界に戻れなくなる」と読み解きました。
ところが「さらにいくつもの」版は自分で「右手、右手」言っちゃうんです。いやそこは、自分のことより姪っ子晴美が(いつまでも)最優先であってほしかったと思っちゃうのです。

本当は前作とあまり変わってないのかもしれませんが、私はかなり「せわしない」印象があったんです。中でも「タンポポ」の扱いが短く、前作より印象が薄かったのです。私は前作のキーワードの一つに「タンポポ」も挙げていて、「すずさんは広島から飛んできて呉に根を下ろしたタンポポ」と読み解きました。
このタンポポの綿毛が“飛んで”きて根を下ろした「偶然」がきちんと描写できていないと、“飛んで”きた鷺を必死に追い返そうとする理由が弱いと思うんです。「まだ余所者なのか」と言う周作さんの言葉の説得力が全然違うと思うんです。

私は前作を「偶然」の映画だと読み解いたんですね。
タンポポの綿毛が風まかせで飛ぶように、生き残る者、死にゆく者、その境目もちょっとした風向き次第。すずさんが呉に嫁いだのも、広島の難を逃れたのも、この時代に生まれたのも「偶然」。だからすずさん達は、「偶然」別の時代に生きただけの、今と地続きの人達だと思ったのです。

ところが「さらにいくつもの」版は「説明マシマシ」の結果、まるで「必然」のようにあらゆることが集約されるのです。
その結果、欲してた味と違っちゃったんですよ。映画の読後感が別物になっちゃったんですよ。いや、私だけかもしれませんし、(何度も言いますが)私がボンヤリ見逃しただけかもしれませんけどね。

誤解のないように書きますが、相変わらずいい映画なんですよ。それは間違いない。でも私は、誰かにお勧めするなら、圧倒的に前作。



2019年12月20日公開(2019年/日)

comments

   
pagetop