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アイリッシュマン



マーティン・スコセッシ(77)が「一口に老人と言っても、60歳、70歳、80歳は違うんだ。全然違うんだよ」と言ってる映画。
監督:マーティン・スコセッシ/アップリンク吉祥寺/★3(68点)本家公式サイト
スコセッシはだいぶ前に見限っていて、最後に観たのは『ヒューゴの不思議な発明』(2011年)かな。あれはヒットガール・クロエちゃん目当てだったから、純粋には『ギャング・オブ・ニューヨーク 』(2002年)が最後かもしれない。えらい昔だな。元々あまり観てない監督なんだけどね。

『グッドフェローズ』とか『カジノ』とかって、こんな話じゃなかったっけ?
実はどっちも嫌いな映画なんでほとんど覚えていないのですが、この『アイリッシュマン』は嫌いじゃない。ま、も一回209分観るかって言われたら観ないけどね。

構成としては『レイジング・ブル』パターンだと思うのです。デ・ニーロが老けたり太ったり。
私が面白いと思ったのは、思いのほか「老後」の描写が長いんですよ。

この手の回想話って、普通は「老後=現在」という単一の時間なんですね。
回想の中で「少年時代」「青年時代」「壮年時代」「中年時代」などを(時に役者を変えながら)描き分ける。それが一般的。

ところがこの映画は、赤いちゃんちゃんこを着る年代から後期高齢者まで、老人を描き分けるのです。マーティン・スコセッシ77歳のなせる技。
若い監督なら老人という単一の「記号」でしか描けないでしょう。仮に我々中年男性が描写しようと思っても「女子高生という記号」でしか描けないのと同じです。だって、その生態を知らないから。
ついでに言うなら、歳をとると「怒りっぽくなる老人」と「好々爺」に分かれるんですよ。それをアル・パチーノとデ・ニーロで描き分けるんですよ(<そうか?)。

似た映画を例に挙げると、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は「過去」を描いた映画で、西部劇が死滅した時代にマカロニ・ウェスタン監督セルジオ・レオーネが「郷愁」として描いたのです。
一方、『ゴッドファーザー』シリーズは「今」を描いた物語でした。PART IIでドン・コルレオーネの若き日をデ・ニーロが演じる回想は、誰の想い出というわけではなく、アル・パチーノ演じるマイケルの「今」を際立たせるために存在していたのです。

そしてこの映画は、スコセッシが「未来」を描こうとしたのだと私は思っています。
老後の描写が長く、老人を描き分けることで、スコセッシは自分自身の「未来」に可能性を見出そうとしたように思えるのです。
『くじけないで』という映画で80歳過ぎの八千草薫が100歳の老け役をやったのと同じ理屈です(<そうか?)。

そして、スコセッシ老は「過去」を栄光や美学として描くのではなく、「お前が謝れ!」「お前が先に謝れ!」みたいな男どもの馬鹿馬鹿しいマウンティングと、そんな男社会(で生きる父)を白い眼で見る娘(女性)として扱ったのです。つまりそれは現代の、あるいはこれからの社会の在り方に対する「老婆心ながら」という示唆なのかもしれません。
いやまあ『レイジングブル』もDVダメ男だったけどね。

ただあれだな。似たような映画、特に『ゴッドファーザー』を思い出さないように努めてたのに、ラストの「ドア」シーンはもろパロディーじゃねーか。



日本公開2019年11月15日(2019年/米 Netflix)

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