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皆殺しの天使



「なんとなくこの状況に陥った人」。ブニュエル映画の登場人物はいつもこんな感じだ。

監督:ルイス・ブニュエル/WOWOW(録画)/★4(71点)本家
「不条理」と言っちゃえば簡単だけど、かと言って真剣に分析・解釈するのも粋じゃない。
「教訓のない寓話」というブニュエル翁お馴染みの一席。

実はブニュエル絶好調時の作品。
「実は」と書いたのは、ブニュエル翁が1983年に死去して翌84年にぴあが特集上映するまで、日本ではメキシコ時代のブニュエル作品は紹介されていなかったんですね。四方田犬彦曰く84年は「ブニュエル元年」。それまでメキシコ時代は「ブニュエル暗黒時代」と思われていました。私がブニュエル作品に出会ったのはおそらく85年頃(大学生だった)。実際その頃、メキシコ時代の情報は世の中にほとんどありませんでした。
「絶好調時」と書いたのは、前作『ビリディアナ』がカンヌ・パルムドールを受賞し、国際舞台に戻るきっかけの時期だったから。ちなみにこの次の作品が『小間使の日記』。
暗黒時代と思われていたメキシコ時代の最後の頃は実は絶好調期だったのです。

なんでメキシコにいたかって言うと、スペイン内戦で事実上亡命したから。
だからこの映画の終盤にインサートされる暴動(?)、あるいは誰かに原因を負わせて「総括」しようとする群集心理など、スペイン内戦の影響があるのかもしれません。
あるいは、事態解決の糸口を掴むのが、処女と噂のワルキューレと呼ばれる女性であることに意味があるのかもしれません。
ブルジョアや教会という記号に意味があるのかもしれませんし、「ヨハネ黙示録」からとったと言われるタイトル『皆殺しの天使』に意味があるのかもしれません。

いや、そんな解釈の手掛かりを求めること自体が野暮なのかもしれません。

私がこの映画で気付いたのは、「誰も本気で脱出する気がない」ということ。
言い換えれば「自分の意志で動いているように見えない」。
これ、ブニュエルの他の作品でも言えるような気がするのです。

同類のシチュエーションの『ブルジョアジー』はもちろんのこと、『昼顔』や『トリスターナ』のドヌーヴ、『小間使の日記』のジャンヌ・モロー、あるいは『砂漠のシモン』、みんな「自分の意志で動いているように見えない」気がしませんか?
つまり、この映画の「なんとなく幽閉されちゃった人々」と根底は同じに思えるのです。「なんとなくこの状況に陥った人」。それがブニュエル映画の主人公。

そうした主人公が「自ら動く」意志を見せることで物語が動きます。
この映画の転機は、ワルキューレの謎解きではなく、家主が「もめるくらいなら俺死ぬよ」と「自ら動く意志を見せた」ことなのです。
ブニュエルの他作品でも同じことが言えるような気がします。状況に「なんとなく幽閉」されていた主人公が、自らの意志で動こうとした時にドラマは終焉に向かう。

「なんとなくこの状況に陥った人」。ブニュエル映画の登場人物はだいたいいつもこんな感じ。そんなことを気付かせてくれる映画でした。

(2019年10月12日。超大型台風首都圏上陸で「部屋から出るに出られない」という状況下で、録画していた本作を鑑賞)



(1962年 メキシコ)

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