令和元年5月に逝去された最強女優=京マチ子を追悼して映画館に足を運ぶ。なぜこの映画?他にあるだろうに。
1957年の映画。この頃の京マチ子は、黒澤『羅生門』(50年)、衣笠『地獄門』(53年)、溝口『雨月物語』(53年)で「グランプリ女優」と呼ばれ、本作の前年(56年)にはハリウッドでマーロン・ブランドと共演するほど大女優全盛期。なのに、こんな映画。
京マチ子はバーン!としてんですよね。肉感的とでも言うのでしょうか。
濃い顔立ちとバーン!とした風貌、そのためか“強い女性”といった役柄が多く、私は「最強女優」と呼んでいます。ちなみに、他に最強女優と呼んでるのはカトリーヌ・ドヌーヴやペネロペ・クルスね。バーン!
そしてこの映画の面白い点は、強いだけではなくチャーミングなんです。もう最強。
最強女優を損なうことなく新たな境地を開拓している。
京マチ子もよく演じていますが、市川崑の手腕も凄いんです。
死体に細工するシーンがあるんですが、カメラは死体の足(の裏)越しのショットで切り取る。
これ凄いアングルで、こんな足裏の大写しは『ハリーの災難』(55年)以外、この当時の映画で観たことない。
ちなみにこの映画のタイトルで、出演者の名前を曲げたり、監督は縦書き・市川崑は横書きなど、後々金田一シリーズでやるタイトルの書き方を少しだけやっている。タイトルから遊び心に溢れている。
この頃の市川崑は風刺映画の様相があります。
『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』(59年)では「近頃は新聞に“人生相談”なんてコーナーがある。自分の人生を他人に相談するなんて、おかしな世の中になったもんだ」なんて台詞もあります。
この映画でも銀行、マスコミ、警察を揶揄しながら、山村聡にサラリーマンの悲哀を語らせたりするんですが、なんといっても「失踪」の扱いに驚かされます。
失踪を巡る雑誌企画のアイディアも秀逸で、且つコミカルに扱いますが、かなり先見の明があったと思うんですよ。
今村昌平が『人間蒸発』を撮ったのが68年、『砂の女』(64年)を安部公房が書いたのが62年。安部公房はこの後続けて『他人の顔』(66年)、『燃えつきた地図』(68年)と「失踪三部作」を書き、いずれも勅使河原宏が映画化しますが、失踪(蒸発)が社会問題化したのは60年代から70年代なんです。
しかし市川崑は「風刺」であって「社会派」じゃないんですよね(後年、社会性から遠のいていくのですが)。
つまりどこかで“戯画”なんです。
この映画なんかはその典型例。有り体に言えばフザケてるんですよ。
だから蓮實重彦とかに嫌われるんだ。
(1957年 大映)
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