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よこがお



宣伝文句の「ヒューマン・サスペンス」よりもフランス映画的愛憎劇の趣き。筒井真理子ファン必見!(<『アンチポルノ』でも同じこと書いてた)
監督:深田晃司/テアトル新宿/★3(60点)本家公式サイト
筒井真理子とか、普段主役やらない女優さんが主役だとウヒウヒ言いながら観に行く悪癖があるんすよ。
面白い映画ではあったんですが、偶然前日に野村芳太郎『疑惑』を観ていたもので、2日続けて疑惑物を観ちゃったなあ、正直あまり好きな映画じゃないなあ、と。

1982年の『疑惑』の頃は、事件の真相が解き明かされれば疑惑も解消した時代だったんです。
ところが今はそんな単純じゃない。容疑者なら弁護人が付くけど、関係者は私刑(リンチ)に合っても逃げるしかない。今や、実際の法的処罰よりも社会的制裁の方が重いんじゃないだろうか?

しかしこの映画の主眼は、メディアによる暴力といった社会問題を描くことではありません。
もしそうなら、追い込み方や詰めが甘いし、『白ゆき姫殺人事件』のような現代性も帯びていない。
この映画が描こうとしているのは愛憎劇なのです。まるでフランス映画。実際、日仏合作。

この監督の作品は他に『ほとりの朔子』しか観ていないので、それが特徴なのかどうか分からないのですが、文学的な話を好むように思えます。しかしそれほど映画的ではないというのが私の印象です。

自転車などを使ってカメラの横移動や縦移動は映画的な運動だと思うのですが、私にはそれほど印象的に思えないんです。なんでだろ?使い方なのかな?
例えば、筒井真理子と市川実日子が信号を渡るスローモーションがあります。
この直後に物語の大きな転機を迎えるのですが、逆な気がするんです。
物語の転機を見せてからのスローモーション!だったら分かります。登場人物の気持ちと表現がリンクする。
例えばトリュフォー『大人は判ってくれない』は、街で偶然母親を見つけてしまった(見てはいけないものを見てしまった)時にストップモーションになります。これは意味がある。
しかしこの映画のスローモーションは意味がない。むしろ「なにこの演出?」って思っちゃうんです。

例えば、緑色の髪の筒井真理子が池に入っていくシーンがありますが、この抽象表現も心象風景とはいえ、他のエピソードと有機的に絡むものではない。有体に言えば無意味なシーン。
逆に、暗闇で男に抱かれていた筒井真理子が「押入れの中だった!」という妄想は、市川実日子の想い出(それも彼女の芯を食った記憶)と重なるから意味がある。映画的に面白いシーンって、ここくらいしか見当たらなかったんですよね、私には。

んー、なんと言うか、雰囲気上手の映画下手な感じ。それもフランス映画っぽい。



2019年7月26日公開(2019年/日=仏)

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