君の名前で僕を呼ぶんだか僕の名前で君を呼ぶんだかよく分からず「おれがあいつであいつがおれで」的なことかと思ったら、そうではなかったらしい。
思ってた以上に上品で、丁寧で、それでいてチャレンジングな映画。
オリヴァー登場シーン。ティモシー・シャラメ君はシャツを着ながら窓から顔を出します。
服を着たままでもなければ(暑いので)裸のまま顔を出すわけでもない。
“肌の露出を隠しながら”初対面に向かうわけです。
『めまい』のキム・ノヴァクは背中の大きく開いたドレスでジェームズ・ステュアートの前に登場しますが、ヒッチコック先生の例を持ち出すまでもなく、“肌の露出”は恋愛の駆け引きなのです。
いやむしろ、“肌”は恋愛映画の小道具と言っても過言ではありません。
実際、女性の秘めた想いは、肌を露出しない冬の映画になりがちです。例えばそうだな、『キャロル』なんか冬のイメージです。
一方、男性の場合は、肌を露出する“夏”なのです。
『ベニスに死す』も『太陽がいっぱい』も。
谷村新司に「夏の2週間」という作詞・康珍化&作曲・筒美京平の名曲がありますが、この映画は夏の6週間の出来事が描かれます。そして谷村新司は無関係です。私が語りたかっただけ。
あー、『キャロル』も『太陽がいっぱい』もパトリシア・ハイスミスだな。ちなみにパトリシア・ハイスミスを最初に映画化したのはヒッチコックなんですよ。語りたかっただけ。
劇中「いやあ、俺なんか親バレしたら矯正施設に入れられちゃう」的なオリヴァーの台詞があります。
そういう時代だったんです。たしか設定は1983年。女装男子を笑い者にする82年の映画『トッツィー』のポスターも街角に見えます。
時代が許さない恋だから、シャツで肌の露出を隠しながら、自分の気持ちを隠すのです。
禁断の恋だから、僕の名前を呼ばないで、君の名前で僕を呼ぶのです。
映画はずっとティモシー・シャラメ君視点で語られます。
ただ、二人が関係しちゃった直後だけオリヴァー視点に移るんです。
私はここがめっちゃ面白くて、オリヴァーの方が戸惑ってるんですよ。
観ているこっちもオリヴァー同様に、若い子が何を考えてんだか分からなくなってくるんですね。
すぐにティモシー・シャラメ君視点に戻るんですが、このまま視点がオリヴァーに変わって「若い子に大人が翻弄される物語」になってたらもっと高得点つけてたかもしれません。
日本公開2018年4月27日(2017年/伊=仏=ブラジル=米)
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