『溺れるナイフ』が私の山戸結希初体験だった。
「荒削りだけどこの監督の今後に期待したい」と評して以来、彼女の新作を心待ちにしていた。いやまあ『21世紀の女の子』は見逃したんだけど。
実は、何か特殊な匂いを嗅ぎつけていたんだ。なんだか胸がざわついたんです。
そして、その予感は的中した。
正直言って、映画としての出来はヒドいと思う。
申し訳ないけど、苦笑しながら観ていた。ココアにダイブする間宮祥太朗なんか爆笑した。
もはや話の整合性や辻褄などというストーリーテリングなんかどうでもよくて、ただただ描きたい何かに向かって突進する。
そのギリギリ加減(突き抜け加減)は、元祖こじらせ男子=大林宣彦のそれによく似ている。
そう考えてみると、カットの割り方、音楽の付け方、おそらく原作のイジり方、どれもこれも大林宣彦に似ている気がしてきた。
そうか!山戸結希はこじらせ女子なんだ!
だけど私はこの映画がすげー好きだ。
星5か星1か迷いに迷った。傑作なんだか超駄作なんだか分からない。たぶん“珍作”なんだと思う。
この感覚は私の中で、大林宣彦『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』に似ている。
たぶん誰も分からないし誰に分かってもらう必要もない。自分だけに分かる、自分だけに囁いてくれる映画。
この映画も同じなのだ。誰かのためにそっと囁いている映画。
『ガールミーツボーイ』と銘打ってるだけあって、少女に向けて囁いている映画に違いない。
だけど俺には、何を囁いているか分からない。
少女に向けて何か囁いていることは分かる。だけどモスキート音のように何を囁いているのか聞こえない。
俺が少女じゃないからだ。
2019年6月28日公開(2019年/日)
comments