足腰弱って頭だけハッキリしている90歳近い文句ばっかり言ってる頑固な父(この映画の山崎努と真逆)を年老いた母に任せてしまっているダメ息子の私には耳の痛い話。
これ、居心地の悪い最大の理由。
この映画のテーマが「人と人のつながり」であることは明確で、震災後の「絆ブーム」について語っちゃうくらい明確です。
逆に言えば「ディスコミュニケーションの物語」で、それも私の居心地を悪くさせるのです。
もちろん認知症こそディスコミュニケーションの最たるものですが、アメリカで暮らす竹内結子は英語が分からないし、息子とも会話がない。蒼井優先生が始めた青空食堂のカレー(とそのトッピング)はサラリーマンには理解不能だし、だし巻き卵にケチャップをかけられるわポテサラのアクセントの干しブドウも取り除かれるわ、得意なはずの料理でコミュニケーションがとれない。
蒼井優先生に竹内結子という、一生見てても飽きない名女優、全幅の信頼を寄せる「最強女優感満載」の二人が、「人生上手くいかない」的なこと言うんですよ。なんかもうこっちもオロオロしちゃうじゃないですか。
母親役の松原智恵子の配役も絶妙で、これが富司純子だったらデンとした安心感でオロオロしないのに。
それに山崎努ね。『モリのいる場所』もそうだったんですが、巧すぎちゃって、本当にボケてるようにしか見えない。あの名優・山崎努がですよ、念仏の鉄がですよ、ボケちゃうなんてもう悲しくて悲しくてとてもやりきれない。加藤和彦。
私は、話題作『湯を沸かすほどの熱い愛』を観ていないので、この監督の作品を観るのは初めてだったのですが、巧い監督だと思います。
この「居心地の悪さ」(私が勝手に感じただけなのですが)も意図的なのかもしれません。
校長先生も務めた絶対的な存在としての父。そんな安定の大黒柱が認知症になる。それはただ単に悲しいとかいうことじゃなくて、物語的には「信頼感の崩壊(欠如)」が設定されるのです。それが「居心地の悪さ」につながっている。
先に「絆ブーム」と書きましたが、「ブーム」っていうのは「不足」の裏返しなんですよ。
アメリカ人が「Cool!」って言う漢字ブームは、漢字が身近じゃないからなんです。「絆ブーム」は絆が身近じゃない時代になったからブームになるんです。
「絆ブーム」の気持ち悪さって、そういう所にあったんだと思うんです。
つまり、この映画は「人と人とのつながり」「信頼感」を描いているのではなく、その欠如を描いているのです。だからディスコミュニケーションの物語。
信頼感の欠如を描くことで、逆にその必要性・重要性を描こうとしたのかもしれません。
2019年5月31日公開(2019年 日)
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