正直、アルフォンソ・キュアロンってこと以外、予備知識ゼロで観たんですよ。
その結果、1970年のメキシコが舞台だってことに気付くのにだいぶ時間がかかった。
メキシコシティのローマ地区を舞台にしたアルフォンソ・キュアロンの自伝的な話ということは、映画鑑賞後に調べて知ったこと。映画を観ただけじゃ分からない。
70年メキシコW杯のポスターが一瞬映るんですよね。釜本!と思ったけどそれは68年のメキシコ五輪だった。ペレの時だってよ。これも後から調べたこと。
予備知識があると無いとじゃ理解度がだいぶ違ったかもしれませんが、予備知識があろうが無かろうが70年メキシコの空気感なんて分からない。
メキシコ・シティのローマ地区がどんな場所で、どういう社会背景で、それをアルフォンソ・キュアロン少年の目でどう見ていたか・・・なんて全く分からない。
ただこの映画で分かることは、全編に「不穏な空気」が流れていること。
カップを落とす所とか、海のシーンとか、超怖かった。
それでいながら(他のアルフォンソ・キュアロンと同じように)微かな希望の光があること。
おそらくそれは、約50年前の時代を通じて今の時代へのメッセージだと思うのです。
余談、、、というかむしろ本論
映画の内容とは別の話ですが、Netflix騒動は「映画の終わりの始まり」のような気がするのです。
カンヌは締め出そうとしているし、米アカデミーでも面白くなく思う人たちがいる。
私自身映画館派なので、Netflixどうなの?と思っていたのですが この映画を見て分かりました。
私はアルフォンソ・キュアロンは基本的に『天国の口、終りの楽園。』の人だと思っていて本作もその延長線上だと思っているんですが、もうこういう映画には配給が付かないんですよ。
結局、配信しかこういう映画を取り扱ってくれない。
マーディン・スコセッシの新作はNetflixだって噂だし、ウディ・アレンだってここ何作かはAmazon製作だったもんね(裁判沙汰になってるけど)。
だいたい、既得権を守るために新興勢力を排除しようという動きがあること自体、もうコンテンツとして終わりを迎えているんだと思います。
映画館で上映されるのはマーベルかディズニー。良質の(客が入らない)映画はNetflixなどの配信でしか観られない。そういう時代がもうそこまで来てるんですよ。映画の終わりの始まり。
映画館派としては寂しい限りですが。
日本公開2019年3月9日(2018年/メキシコ=米)
comments