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翔んで埼玉



多少誇張はあるけど「実話」だ。『余命一か月の花嫁』と同じジャンルの映画。(超長レビュー)

監督:武内英樹/渋谷TOEI/★3(60点)本家公式サイト

結婚前に南浦和で一人暮らしをしていた銀座OLだったウチのヨメは、先輩(女性)に言われたそうですよ。「埼玉に住んでるなんて信じられない!」と。その女性は六本木の風呂無しアパートに住んでいたそうです。銀座OLのプライドだったんでしょうな。これが平成3年の話。

私も2年ほど埼玉に居たことがありましてね。
会社が用意してくれたアパートは大宮でしたが、担当地域は越谷。この映画で出てくる春日部、草加、流山に隣接する埼玉vs千葉抗争の重要拠点でした。俺が営業車停めてサボってた公園は今や一大ショッピングモールだよ。

四半世紀も昔のことですが、わずか2年間でも気付いていました。埼玉には「山田うどん」以外何もないと。
その理由も分かります。
東京からチェーン展開を目指す業界はまず埼玉を足掛かりにし、地方から東京進出を目指すチェーン店も埼玉を拠点にする。ヤマダ電機(群馬)とコジマ電機(栃木)とケーズデンキ(茨城)がシノギを削ってたよ。最近じゃノジマ電機(神奈川)もあるらしいけどね。埼玉は日本の玄関マット。
つまりこの映画が“希望”として見出した結論「特化したものはないけどそこそこ何でもある」なんてことは、四半世紀も前に証明された事実なのです。「そこそこ」どころか家電屋が全部あったし、春日部にはロビンソン百貨店があったさ。そして山田うどんは埼玉のソウルフード。

魔夜峰央自身まで登場して「これはフィクションです」と言い訳しながら不都合な真実を隠そうとしていますが、私が喝破しましょう。映画館に訪れていた多くの若者は知らんでしょうが、多少誇張はあるけど、これはほぼ「実話」です。『余命一か月の花嫁』とか『8年越しの花嫁』なんかと同じジャンル。花嫁は大変だな。
ま、さすがに平成に入ってからは通行手形は廃止されましたけどね。

しかし笑ってばかりもいられません。
あの差別の時代を知る我々大人は、悲劇を繰り返さないためにも、もっと踏み込んで考えるべきなのです。

日本は70年代に角福戦争と呼ばれる戦争があり、新潟が日本の中心だった時期があります。これも地方を巡る戦いとして重要な歴史ですが、ひとまず置いておいて、80年代に話を進めましょう。

このマンガが描かれたのが1982年(昭和57年)頃。さいたまんぞうが「なぜか埼玉」を自主制作したのが1980年。タモリが面白がってラジオで紹介して世に広まったのが翌81年。「ダサいたま」って言いだしたのもタモリだって話じゃない?そういやタモリは名古屋イジリもしてたな。

タモリが地方イジリをしていたこの時代、日本は「一億総中流」意識の渦中だったのです。
埼玉の通行手形も知らない若い皆さんはご存知ないでしょうが、タモリはお昼の顔なんかではなく、むしろ夜のキワモノ、アウトローの人でした。今にして思えば、そんなタモリが一億総中流などと言ってボーっと生きてる日本国民を叱っていたのです。
元々「オールナイトニッポン」で言ってたんでしょうけどね。82年から「笑っていいとも」が始まったから、お茶の間に浸透しちゃったわけですよ。

魔夜峰央がこのマンガを描いたのは、おそらく、そんなダ埼玉に越してきちゃった自虐と、白いワニが見える精神状態(<それは江口寿史だ)だったからだと思うのですが、タモリも魔夜峰央も「一億総中流=みんな同質」という風潮に違和感を感じていたのではないでしょうか。

かく言う私も、今じゃ東京人の顔をしていますが栃木出身。ヨメは宮城出身。六本木風呂なしアパートの女性も地方出身だったに違いありません。こないだ歌舞伎町のガールズバーで会った女の子はフィリピンとイタリアと日本の血が混じった三重県人でしたよ。
実は純血東京人なんて少ない。3,4代遡ったらほとんどいないかもしれない。逆に、先祖代々純血東京人は田舎を馬鹿にしたりしない。もはやそんなもんは超越している。

昔から言われますが、東京は「田舎者の集合体」なのです。
この映画は誇張があり、埼玉発見器なんてものは実在しなかったし、横の繋がりの薄い埼玉人は草加煎餅なんか踏み絵にならない。バリバリ踏むよ。だから田舎者が東京に巣食っていくことができたのです。
結局は、田舎者を元田舎者が馬鹿にする、同属嫌悪が差別の源流なのです。
80年代は、皆が「中流」の「東京人」の顔をして「差別する側」に回ろうとした時代だったのかもしれません。タモリはそれを笑ったのです。

2000年代に入り、みうらじゅんが「ゆるキャラ」の概念を持ち出し、「郷土愛」を復権させます。
時代は「一億総中流」から「世界に一つだけの花」、ナンバー1からオンリー1へ。
つまり人々が「おらが村はいいとこだべさ」ということに気付き始めるのです。
実際、「何もない」埼玉は、欠けた郷土愛を貪るかの如く、尋常じゃない数のゆるキャラを生みだしていきます。

そして今や時代はもう少し進み、「誰もがオンリー1」であることを「互いに認める」時代になってきています。多様性、グローバリゼーション、ダイバーシティ。私はこの前、ナイジェリア出身の客引きに捕まってルワンダ出身のホステスと飲みましたよ。

その一方で、それを排除しようとする動きもあります。トランプ政権に代表される極端な保守主義、排斥主義がそうです。
あるいは30年前の「一億総中流」が夢だったかのように「格差社会」に変遷したのも事実です。

さて、この『翔んで埼玉』を観て怒る人がいたとしましょう。
その人は、今の世の中を「格差社会」「差別社会」と考えていて、それを茶化すこの映画を不謹慎と感じたのです。

逆に笑って観られたとしましょう。
それは、「それも個性」と笑って受け入れる余裕。互いを認め・容認する多様性の時代認識があるからでしょう。

どちらが正解というわけではないのです。
ただ、どちらが多いかで、今の世の中がどういう方向に傾いているか、少し分かるような気がするのです。

余談

ダサイたまで思い出した。この監督、『テルマエ・ロマエ』の時も思ったけど、話のまとめ方がダサくない?

余談2

この原作マンガが再燃したのはマツコ・デラックスの番組がきっかけだったそうですが、マツコも多様性社会を代表するような人物です。
この一連の流れの中で興味深いのは、タモリやみうらじゅん、マツコといった人達が「岸から川を眺めているような人」だということです。「長い物に巻かれない」人達と言ってもいいかもしれません。
世の中には、「本流に乗っかって牽引する」人も「それを川岸から冷静に見る」人も必要なのです。



2019年2月22日公開(2018年 日)

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