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ともしび



圧倒的な情報不足。シャーロット・ランプリングの顔を見るためだけの映画だとしてもだ。

監督:アンドレア・パラオロ/シネスイッチ銀座/
★2(30点)本家公式サイト

クジラのくだりで急に文学的な匂いもしてきますが、うーむ、どうなんだろう?

何故旦那は逮捕されたのか、何故息子と喧嘩しているのか、タンスの裏の封筒って?とか、そうした疑問は一切解決されません。仮に、そうしたものはヒッチコック的マクガフィンであって、そこにそれ以上の意味も求めるべき理由もなく、この映画の本質はそうした状況下に於けるシャーロット・ランプリングの「顔」なんだ、ということだったとしても、この映画は圧倒的に“情報不足”だと思うんです。

こうした静謐な映画で必要なのは「背景が分かる」ことなんじゃないかな?
仕草とか、小道具とか、最小限の台詞とかで、登場人物の出自や人間関係なんかが透けて見える、そういう“情報量”が必要だと思うんですよね。

もう20年も昔のドラマの話をしますけどね、野沢尚脚本の「青い鳥」だったと思うんですが、嫁が舅にお酌するんです。晩酌でビールを注ぐ。そこで舅が言うのです「さすがに手慣れたもんだな」。この皮肉めいた台詞一つで、この嫁が水商売出身で、そんな嫁を舅は面白く思っていないことを匂わせるわけです。そしてこの女が後々この家を出ていく決意をする大いなる伏線にもなっている。

ところがこの映画は、地下鉄の変な乗客は無駄に描写するくせに、主人公の背景なんかはビックリするくらい描写しないんですよ。
なんなら、旦那が逮捕された理由はいらないから、せめて夫婦関係が良好だったのか不仲だったのかだけでも教えてくれ。それだけで画面の持つ意味が全然変わってくる。

おそらく、シャーロット・ランプリングの周囲から一つ一つ引き剥がしていって、最後に残った彼女の迫真の演技をご覧くださいさあどうぞという映画なのでしょう。
だとしてもだ、剥がされるものに対する彼女の感情が分からなかったら、観る者は「で?」って感情しかわかないんじゃないかな。



日本公開2019年2月2日(2017年/仏=伊=ベルギー)

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