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TBS大型時代劇「関ケ原」3部作

原田眞人の『関ヶ原』を観た時から観たい観たいと思っていた伝説のドラマが、加藤剛追悼企画でCS・TBSチャンネルで放送されたのを機に一気見(途中観てない箇所もあるけど)。
ま、森繁追悼企画でも放映したらしいし、去年DVD化されたらしいけど。

で、演出も素晴らしいし話自体も面白かったし笑っちゃうほど豪華キャスト過ぎたので、個人的に記録を残そうと思った次第。いやまあ、ウィペディア見れば載ってんだけどさ。「なんで関ヶ原に大集合したんだ?」という私の長年の疑問も解消できたもんだから。

このコメントは、第1部「作品概要」、第2部「歴史的意義」、第3部「あらすじとキャスト」の3部構成で長々お送りします。

このドラマは、TBS創立30周年で作られ、1981(昭和56)年1月2日から4日まで3夜連続で放映されたそうです。私は中学生かな(<関係ない)。
プロデューサーは大山勝美。「岸辺のアルバム」とか後に「ふぞろいの林檎たち」シリーズとか数々の名作を生み「ドラマのTBS」黄金時代を牽引した名物P。
演出は鴨下信一。TBS演出家同世代に久世光彦や実相寺昭雄がいたらしい。私の大好きな演出家で、後に演出した「ふぞろいの林檎たち」「高校教師」などで私はその名を知った。
脚本は早坂暁。「夢千代日記」でお馴染みの大御所。ただ私は映画作品はイマイチの印象で、脚本家というより(テレビ)シナリオライターというイメージ。でも凄い人です。
音楽は山本直純。聞いててなんとなく分かった。
第1夜「夢のまた夢」、第2夜「さらば友よ」、第3夜「男たちの祭り」。計約6時間。
TBSチャンネルによれば「役者延べ120人、エキストラ延べ3500人、馬約500頭」。

こんな凄いスタッフが何をしたかというと、日本人の歴史観を変えたんです。
それはもちろん司馬遼太郎の原作のおかげで、だいたい日本の歴史は司馬遼太郎が作ってるんですよ。
先に関係ないと書きましたけど、私が子供の頃は「石田三成は小賢しい奴」と悪人扱いで教えられたんですね。教えられたというか、小学校の図書館にある伝記本なんかはたいがいそういう扱いだった。おそらくそれが多くの日本人が持つ石田三成像だった。
それを司馬遼太郎が「忠義に熱い正義の人」という扱いにした。
「鳴くまで待とう時鳥」家康を「いけ好かない狸ジジイ」にした。
このドラマは、司馬遼太郎の描き方と当時の日本人の歴史観を上手にミックスして、両者を平等に描くんですね。簡単に言えば石田三成は「正義を貫く青二才」に、古狸徳川家康を「本当は義を理解している人」にする。
そして最後には原マルチノがバチカンに宛てた手紙という形で語るのです。
「家康は石田三成を悪者にするように記録していくだろう」「こうして歴史は書き換えられていく」的なことを。
つまりこのドラマは、意図的に歴史観に挑むという高い志で作られているのです。ただ金をかけただけの大作じゃない。

さてここから、プロフェッショナルが紡ぐ高度に面白い話を「何それ?妄想?」みたいな豪華キャストで演じてたってことを長々書きますね。あ、これ、ドラマのあらすじと関ケ原の歴史的あらすじをゴッチャで書くからね。

1958年8月、豊臣秀吉(宇野重吉)が死にます。
後を任された五大老。これは大名代表。その筆頭が徳川家康(森繁久彌)。
もう一つ五奉行ってのがあります。これは豊臣家の政務担当。このトップが石田三成(加藤剛)。
禁じられていた勝手な結婚の斡旋とか家康が掟破りを始めたりするんですね。三成は面白くない。五大老vs五奉行って構図。
でもその間に、五大老次席で秀吉の盟友・前田利家(辰巳柳太郎)がいるから事は大きくならなかった。
森繁が腹心の本多正信(三國連太郎)や側室・阿茶の局(京塚昌子)とアレコレ悪だくみしたり、加藤剛は愛妾の初芽(松坂慶子)とイチャイチャしているうちに、1599 年3月、前田利家が死ぬ。

そしたら「石田三成 暗殺未遂事件」が起きる。
首謀者は福島正則(丹波哲郎)、加藤清正(藤岡弘)、細川忠興(竹脇無我)ら7名。豊臣家の家臣だけど石田三成が大嫌いという人達。
なぜそんなに嫌いか?三成は官僚派で福島正則らは武闘派なんです。
話は朝鮮出兵まで遡り、武闘派がヒーコラ戦ってる間、官僚・三成は秀吉に報告する役目で「アイツ働いてねぇ」「コイツ役立たず」みたいなことばっか言ってたらしい。
官僚派vs武闘派。豊臣家臣同士の対立が、重鎮・前田利家の死でタガが外れて爆発したというわけ。
石田三成は事前に察知して襲撃前に脱出。なんと徳川家康の屋敷に逃げ込むのです。なんかドラマじゃ、三成の腹心・島左近(三船敏郎)までが女物の着物を被って脱出を助けていたぜ。

この家康邸に逃げ込んだ三成の一晩が、画面としては地味なんだけど、すごくドラマチックなんですよ。
三成の寝所を兵隊や忍者が見張ってる。それを察知した加藤剛は誰にともなく言うんです。「安心しろ。家康殿の寝首を寝首をかくような卑怯な真似はせん!」
一方、家康側は卑怯にも三成を殺すかと思いきや「それじゃ三成が死ぬだけ。天下は転がり込んでこない」。それを分かってる三成は「家康は俺を殺せん」と得意満面。
翌朝、丹波哲郎や藤岡弘や竹脇無我がやってきて加藤剛を出せと迫るが森繁に説得され、家康は護衛まで付けて三成を大阪に帰してやる。三成「俺って天才!」。
しかししっぺ返しを食らう。家康「揉めるから、お前、五奉行クビね」。
三成、謹慎処分で失脚。愛人・松坂慶子は島左近のツテで出雲の阿国(木の実ナナ)の元へ身を寄せる。ちなみにツテってのは名古屋山三(三浦洋一)っていう島左近の戦友が阿国の男だったから。

三成がいなくなったら森繁家康の権謀術数やりたい放題。
「情勢不安。俺がいないとダメだ」とか言って、1599年9月大阪城に入城。本拠地を西の丸に置く。
三成頼みだった本丸の淀殿(三田佳子)はキーッ!
ちなみに西の丸ってのは、秀吉の正室・北政所(杉村春子)の居住地だった場所。現在北政所は出家して家康の手厚い保護の下、侍女(三崎千恵子)と隠居生活中。
さらに家康は自ら「家康暗殺計画」の噂をばらまき、その首謀者を前田利家の息子・利長と浅野長政(稲葉義男)とでっち上げます。五奉行の1人だった稲葉義男は失脚。
前田家は利長の母親で辰巳柳太郎の正室・芳春院=まつ(沢村貞子)を人質に差し出します。「利家とまつ」で松嶋菜々子が演じた女性ね。
これで五奉行崩壊、五大老ナンバー2の前田家も懐柔。

ドラマでは、沢村貞子が人質になるべく大阪に向かう途中、北政所・杉村春子の隠居先に寄るんですね。秀吉と利家という旧友の夫人同士は貧乏だった頃から仲良くしてたんだよねぇ、豊臣も前田も夫と私で築いたんだよねぇ的な昔話を杉村春子と沢村貞子がやるのです。なにこの大女優競演。面白すぎる。
この辺からちょっとした伏線で、北政所は「天下人は一代で終了。あとは家康に任せる」ということを言い始めます。

1600年お正月。
家康が求めた年賀の挨拶に、五大老の一人=会津若松の上杉家が来ない。謀反の動きありとの情報も。
釈明を求める家康の手紙に対して、上杉家家臣・直江兼続(細川俊之)が出した手紙が有名な「直江状」。
文面をネット上から丸パクリします。
「くだらない噂を信じて謀反を疑うなど子供のようなもので、釈明の必要もない。
軍備を進めているのは東北の大名に対する備えをしているだけだ。
そちらは京都で茶器でも集めているんだろうが、こちらは田舎者ゆえ武具を整えるのが武士だと思っている。
だいたい自分が勝手に婚姻の斡旋などをしていたくせに、人に違約違反を言うのはおかしい。
前田家をお仕置きしたらしいが、大層なご威光だ。
あらぬ噂を真に受けて汚名を着せようというのなら、兵を率いて出迎えてやるから、いつでもかかってこい」
喧嘩売ってます。
森繁は手紙叩きつけて踏んづけて怒り狂います。上杉討伐決定!皆で会津に出兵!

さあ、大阪が手薄になりました。
謹慎中、鉄砲鍛冶の頭領(笠智衆)に大砲製作を以来したりして密かに戦闘準備中だった石田三成復活です。
これは加藤剛と細川俊之というイケメン二人が仕組んだ罠だったのです。
三成は親友・大谷吉継(高橋幸治)と相談、増田長盛(平田昭彦)や小西行長(川津祐介)、毛利家の安国寺恵瓊(神山繁)らと打倒家康を計画。
1600 年7月、ついに石田三成 は挙兵を宣言。
総大将には五大老の一人で中国地方の大大名・毛利輝元(金田龍之介)を担ぎ出して西国の大名を抑え、やはり五大老の一人・宇喜多秀家(三浦友和)を軍事担当総帥に据えます。

さてこの家康が上杉討伐に向かう際、島左近(三船敏郎)が近江水口宿の旅籠主人(藤原釜足)から丸々一軒借り上げて待機します。途中で家康を暗殺しようという計画。
途中で休憩している家康に近江水口岡山城から招待が来ます。「どうせならウチで休まない?」「いやもう夜遅いから」「じゃあ明朝、朝飯食いにきてくださいよ、温かいご飯を用意してきますから」という使者の手が僅かに震えているのを見逃さない三國連太郎。
家康に報告したら「ヤバッ!俺狙われてる。すぐ出る!夜中でも今すぐ出立する!」。
街道を僅かな手勢で駆け抜ける早駕籠。それを借り上げた旅籠の二階から銃で狙う三船敏郎。しかし駕籠にまとわりついて一緒に走ってる子供が邪魔だ。なんでこんな夜中に子供がいるんだ?いやそもそも街灯もないこの時代に銃で撃てるもんかね?なんとか銃を放つ島左近だったが、なんと森繁は駕籠の中じゃなく、護衛兵に紛れて走っているのだった!

さて、大阪で旗揚げした石田三成の狙いは会津の上杉と徳川軍を挟み撃ちにすること。
会津若松城で籠城戦の準備万端の上杉。今か今かと徳川軍を待ちますが、なかなか来ない。
家康は待っている。天下が転がり込んでくるチャンスを。

石田三成の西軍が動く。徳川軍の駐留部隊がいる京都伏見城を攻撃。これで家康の重臣中の重臣・鳥居元忠(芦田伸介)が戦死します。
しかし家康はこれも計算の内。会津攻めの前に森繁は芦田伸介に会いに行き、今生の別れを済ませています。「必要なだけ兵を置いていく」「これから迎えるであろう天下分け目の決戦に必要でしょう。捨て駒は少なくて結構です」。

伏見城落城の知らせを聞いた家康「キタコレ!」。福島県の手前、栃木県小山市で会議します。「小山評定」という有名な会議。
会議前夜、森繁は本多正信に言います「明日が一番大事。西軍側に戻る奴が多数出たら、今までの努力が水の泡」。
何故なら、大阪には徳川軍の上杉討伐に従った武将たちの妻子が残されているのです。実質的には家康の人質。ところがそれが裏目に出て、石田三成の人質になってしまうのです。

どうやらこの頃、長期戦の戦場には夫人同伴だったようです。京塚昌子も「会津に行く準備しなきゃ」と言いますが、森繁に「皆に妻子を大阪に残せ言うとるのにワシだけ連れてくわけにいかん」と押し留めていました。その割に森繁は江戸にも側室(古手川祐子)がいるんですけどね。
実際、西軍は大阪の武家屋敷を襲います。残された徳川軍側の妻子は様々な手段で逃げ出します。その中で有名なのは竹脇無我の妻・細川ガラシャ(栗原小巻)。明智光秀の娘ですね。キリシタンなので自殺できないんですが、家の者に殺してもらい屋敷にも火を放ちます。

小山評定に話を戻しましょう。
前夜、悩める家康「会議ってのは、誰かの主張で波が変わる。皆がそれに同調する。そういう発言を誰かにさせれば」。三國連太郎「誰にさせます?」。森繁「福島正則」。
白羽の矢が立った丹波哲郎、家康の腹黒い戦略とはつゆ知らず、黒田長政経由で一晩中説得されます。
翌日の評定。議題は「これからどうする?」。
家康は言います。「人質を取られて困っている者もいるだろう。 ここで大阪(西軍側)に帰っても構わない。 道中の安全は保証する」。
「あいや待たれい!」と丹波哲郎。「残してきた妻子を犠牲にしても石田三成を討伐する!」
「我も!」「我も!」
掛川城主の山内一豊(千秋実)に至っては「城と領地を全て差し出す!」と言い出す始末。もっともこのアイディアは元々浜松城主・堀尾忠氏(角野卓造)のアイディアなんですけどね。
「皆の衆、よう申してくれた」森繁内心ニヤリ。
そして会津の上杉討伐に来たはずの徳川軍は栃木県小山市でUターン。

困ったのは会津若松城で待ち構えていた上杉家・直江兼続。Uターンした徳川軍を追うか?いやいや背後に伊達家がいる。ここで動いたら後ろから攻められる。親友三成よすまぬ!徳川軍にダメージ一つ与えられずみすみす逃してしまったぁ。

徳川軍=東軍は福島正則を先鋒に、千秋実や角野卓造のおかげで一気に東海道を西へ。
ところが、先鋒隊は木曽川を挟んで西軍の眼前まで迫るも、そこで足止め。なぜなら家康は江戸に入って1ヶ月動かない。
福島正則をはじめ豊臣家臣が中心の先鋒隊は待ちくたびれてイライラ。怒ってる丹波哲郎らに仲裁に入る本多忠勝(高松英郎)もホトホト困り果てる。
そして石田三成も「家康が動かんうちは敵は動けん」と読み、どんどん兵をつぎ込んで近隣の城を落としていきます。ちょっとコッチ手薄にならね?と忠告されても「大丈夫。家康が来ないうちは敵は動かない」自信満々の加藤剛。

その1ヶ月間家康は何をしていたかというと、ずーっと各地の武将や大名に協力要請の手紙を書き続けていました。
丹波哲郎に手を焼いた高松英郎からの要請に、こんな返事を返します。
「何お前ら俺のこと待ってんの?自分らで攻めりゃいいじゃん。本気で俺についてくる気あんの?」。
この返事に丹波哲郎「ぐぬぅ。この期に及んで我ら豊臣家臣を試すのか。よーし分かった。俺が撃ってやる。三成撃ってやる」と木曽川を越えて進軍再開。
これに慌てたのが石田三成「え?マジ?」。急いで各地の軍を戻します。この間、闇討ちを提案した大御所・島津義弘(大友柳太朗)に「そんな卑怯なことしないでも義はかならず勝つ」とか青臭いことを言って却下する加藤剛。

美濃の岐阜城(稲葉山城)陥落。三成誤算の始まり。
徳川軍も動いた。江戸を出発して西へ。東海道がら空きで予想外に早くやってきた。これも三成誤算。
豊臣秀頼自ら出兵して鼓舞してほしいという大阪城への要請も三田淀君佳子が却下。大阪城を守っていた西軍総大将のはずの毛利輝元(金田龍之介)も動かない。家康を背後から攻めてほしい上杉は伊達と戦闘が始まってしまい動けない(家康のお手紙作戦が効いたのか?)。誤算に次ぐ誤算。誤算の上塗り。

一方、家康にも誤算が生じている。本隊を2つに分けて息子の徳川秀忠に任せた「中仙道」経由の部隊が、信濃の上田城で真田昌幸(玉川伊佐男)の狡猾な抵抗にあって足止め。結論を言ってしまえば、関ヶ原の合戦に間に合いません。これが間に合っていたら東軍はもっと圧勝だったかもしれませんな。
ちなみに真田家は、長男・信幸はの本多忠勝(東軍)の娘と結婚してて、次男・幸村は大谷吉継(西軍)の娘と結婚していて、結局兄弟で東西に分かれて戦うことになりますが、それはまた別のお話。

1600年9月14日。徳川側は大垣城の近くに布陣。西軍は大垣城を中心に城で東軍を迎え撃つ構え。城攻めは面倒だなあと考えている家康、会議を開き「大垣城を包囲したまま本隊は大阪へ直進」と決議します。そして狸爺森繁家康は三國連太郎に耳打ちします。「この決定を三成側に流せ」と。

この夕方、西軍の勇将・島左近こと三船敏郎が立ち上がります。東軍に奇襲。関ヶ原の前哨戦となった「杭瀬川の戦い」。これでビビっていた西軍の士気が上がったと言われています。
この上がった士気のまま夜襲しよう!という提案を青二才石田三成は「卑怯なまねをせずとも義は必ず正々堂々と勝つ」と言って却下します。

そこへ「徳川軍大阪へ直進」という内部情報が入る。
「そりゃ大変!籠城作戦のつもりが逆に閉じ込められちゃう」というわけで城から出る西軍。
「待ってました!」と東軍。
4つの山に囲まれ2つの街道が交差する盆地。ちょうど両軍が出会う場所。それが関ヶ原。1600年9月15日。

あとは合戦。小早川秀秋(国広富之)が悩み抜いたうえ裏切ったりとかさ。
松坂慶子が加藤剛会いたさに近くまで行って流産しちゃうとかさ。
合戦後の救助に奔走し、バチカンに支援要請する遣欧少年使節・原マルチノ(田中健)とかさ。ま、いろいろあんだけど、ここまで。私が楽しかったのは合戦始まる前の腹の探り合いだったから。AVで言えば本番前のシチュエーション萌的な。
あ、ちなみにナレーションは石坂浩二ね。

ところでドラマでは、「やっぱりおかか様の握り飯は最高だ!」と丹波哲郎が杉村春子の前でムシャムシャおにぎり食べる印象的なシーンがあったんだけど、どこで出てきたんだっけ?


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