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チワワちゃん



ある意味ウォン・カーウァイ『欲望の翼』だが、ドラマとしては一歩も進まず横に移動しただけの印象。

監督:二宮健/渋谷HUMAXシネマ/★3(57点)本家公式サイト
こうした回想に回想を重ねる語り口は好物なのですが、この手の語り口で成功した例をあまり観たことがない。
つまらなくはなかったけど、それほど面白くもなかったというのが正直な感想。

逆『横道世之介』的であり『羅生門』的でもあるんですが、何か事態が解明されるでもなく周囲の者が成長したりするわけでもない。要するに、本来右上に進むべきドラマのベクトルは真横にスライドしただけのように見えるのです。
しかしそうした主人公の無力感こそが時代の不透明感や不安感でありそれが岡崎京子なのだと言われてしまえば、彼女が描いた時代には社会人だったオッサンの私はグゥの音も出ない。パァ。

私は岡崎京子に特別な思い入れは無いのですが、なぜかこだわってしまうのです。
『リバース・エッジ』でも書きましたが、彼女は日本サブカル史上重要な人物ですから。

私は「岡崎京子はバイオレンス作家」だと思っています。
男社会の戦場に、過激な性描写と鋭利なセリフで切り込んでいった女性。
実際この映画もほとんどが若者で、浅野忠信や建設会社社員ら「大人の男」は“悪”として描かれます。(バーのマスターは巧みに大人の“男”から除外されている)

そして、岡崎京子と松本清張は「時代と不可分」とも思うのです。いや松本清張は置いておいて、この映画は現代に翻案しちゃうんですよ。
SNSなんかを絡めて一見巧く現代に翻案していますが、『リバース・エッジ』のセイタカアワダチソウ同様、時代を切り取る小道具を見落としているのです。

それはまさかの「チワワ」。

まだ20歳代の監督には分からんでしょうが、この原作が書かれた90年代と今とじゃチワワの社会的ポジションが少し違う気がするのです。

岡崎京子の時代から少し前の70-80年代の昭和まで遡りましょう。
皇族や外国の貴族なんかは別として、日本の一般家庭における“犬”なんてまだ家畜に毛が生えた程度。高度経済成長で街が清潔になったから猫が「ネズミ取り」という“家畜”的役割からやっと開放され始めた時期。
チワワは世界最小の犬として広く知られた存在でしたが(クイズ問題になるレベルだった)、犬の存在意義はまだ“番犬”。雪が降っても放っておけば喜んで庭駆け回り、夕飯の残りでも食わせとけば充分。最高峰はドーベルマン。広い庭でデカイ犬を飼うのがステータス。座敷犬なんざ糞の役にも立ちゃしない。
そんなチワワも今日ではトイプードルに次ぐ人気犬種ナンバー2。
岡崎京子がこの短編を描いたのは、この狭間の時代なのです。

「チワワに似てるって言われたの」と彼女は言います。
女性同士で言うでしょうか?今なら言うかもしれませんが、原作の時期、あるいは岡崎京子の性格から考えると、女性同士の褒め言葉で使ったとは思えません。
これは男の発言です。昭和の時代なら「子犬みたいだ」と言ったでしょう。そしてその言葉には「可愛い」という意味と「誰にでも尻尾を振ってついてくる」という意味が込められていたはずです。「○○の犬」とか隷属の意味で使われるしね。
この原作の時代、チワワが糞の役にも立たない家畜から愛玩動物へ変化する狭間の時代でも、多少ニュアンスがあったかもしれません。「可愛いだけの中身の無い子」。

その侮蔑の意味に気付かず(あるいは受け流して)「可愛い」だけを受け入れる“新世代”。男社会の象徴とも言えるドーベルマンから小型犬に流行が変わる時代。重厚長大から短小軽薄に変わる時代。
こうした時代の変化を「チワワちゃん」という単語で端的に捉えた岡崎京子の“時代を嗅ぎ分ける感覚”はすごかったんだと思うんです。

その時代性を抜きにして、現代に翻案して、この話の真髄は描けないと思うんですよね。ま、原作知らないけど。
今の時代が似ているという説もあるけど本当かなあ?

海外でのテロのニュースも、事件がまたたく間に過去のものとされる風刺であると同時に、この世界は不安定でありその中で若者はもがき苦しみながら生きていかねばならない、ということだと思うんです。
そういう所が似てるのかなぁ?



2019年1月18日公開(2019年/日)

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