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2重螺旋の恋人



フランソワ・オゾンの「クローネンバーグやってみよー!」あるいは「ケン・ラッセルやってみよー」の巻。

監督:フランソワ・オゾン/ヒューマントラストシネマ有楽町/★3(60点)本家公式サイト
「人間の二面性をテーマにした」とオゾンは言っているそうですが、映画の意図は主人公の「心」を視覚化することにあるように思えます。
螺旋階段とか鏡とか美術館とか挙げればキリがないと言うか、ほぼ全編計算ずくで主人公の心象風景を描いている。

ところがこの映画、主人公と語り部が同一人物(クロエ)なんです。そしてその主人公(語り部)が精神を病んでる設定なんです。ということは、現実でも妄想でも夢でも何でもあり。つまり我々観客は、信用出来ない者の話をずっと観せられるわけです。

例えば鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』、あるいはアラン・パーカー『エンゼル・ハート』、M・ナイト・シャマラン『シックス・センス』、枚挙にいとまがありませんが、観客は語り部を「真っ当な人」と信じて観ている。作り手は語り部を信じるように観客を仕向けている。そうでないと話が成り立たない。
語り部を最初から信用できないから、どんなに流麗な画面を観せられても、「どうせ妄想なんだろ」「どうせ夢なんだろ」「どうせ嘘なんだろ」って思って観てしまう。

それと、先に「計算ずく」って書いたけれども、これがクローネンバーグだったりケン・ラッセルだったり、監督自身がある意味イっちゃってる人の(つまり計算外の)映画だったら楽しめたと思うんです(世評はともかく)。だってこの人達、変態だから(そう考えると、先に名を出した3人もそうだな)。

オゾンはねぇ、残念ながら変態じゃないんですよ。
どちらかというと、クローネンバーグよりソダーバーグに近い。計算ずくでいろんなアプローチができる。それが持ち味ではあるんだけど(それ故逆に天然の変態作家に憧れるんだろうけど)、今回の話は向きじゃない。というか越えられない壁がある。

もしこの映画にオゾンの変態性を見出すとしたら、本当は自分が美人双子姉妹と3Pしたい願望の裏返しなんじゃないのか?ってことくらい。村上春樹の小説か。208と209。



日本公開2018年8月4日(2017年/仏)

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