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勝手にふるえてろ



『ゴーストワールド』で『アメリ』な文学でロックでアンモナイトな映画らしい熱量のある映画。

監督:大九明子/ユジク阿佐ヶ谷/★5(91点)本家公式サイト
「私は如何にして心配するのを止めて松岡茉優を愛するようになったか」という私の異常な愛情ネタを用意していたのですが、そんな戯言を書く余裕のないほどこの映画で語りたいことがいっぱいある。いっぱいありすぎてまとまらない。まとまらなくて書けない(<どっちなんだよ)。

いや、そういう映画なんですよ。アンモナイトなんです。自分で勝手にグルグル回って、勝手に歪んでいくんです。

動物園の公園で「付き合おうか?」と言います。絶滅生物しか好きになれなかった彼女が生きている現実の動物を見て変わる瞬間です。これで充分一つの物語なのですが、ここからさらにグルグル歪んでいくんだ。

いやもう、この映画にはいくつもの切り口がある。

例えば“足元”の物語。最初に自室に帰った時に、脱ぐ靴をアップで撮る。その後しばしば、靴や靴下といった足元を写す。妄想を召喚する時は決まって足を揃える。

例えば“名前”の物語。彼女はあだ名をつけるのが得意らしい(上司「フレディ」は爆笑した)。隣人のオカリナさんは「名前に囚われた人生ってあるでしょ」と言う。そして憧れの天然王子は彼女の名を覚えていない。

例えば“自意識”の物語。この手の痛い子(どうも私は痛い子映画が好きなようだ)は自意識過剰なんです。一方「二」は無神経に近い。「鉛筆借りますじゃなくて借りましただろっ!」(しかも芯を折る)所から始まり、やれ釣だ卓球だと引っ張り回す。ただ正確には、無神経なんだけど彼女に対しては気を遣っている(他者に“意識”がある)。だが自意識過剰な彼女は、イチに対してすらイジメに気付かないほど、自分しか意識していない。

「君だけ僕を見てなかった」。あんなに“視野見”してたのに!

そして(名前を巡る物語も併せて)妄想召喚してもイチは戻ってこない。

「リアル召喚(ボソッ)」。ああ、そうか。妄想召喚からリアル召喚への物語でもあるんだ。
(これ、凡庸な話だったら自分が雨の中走って行っちゃったりするんだ)

この手の痛い子映画は「自分の殻を破る」物語に集約されがちです。私が最初に書いた「絶滅生物から生身の動物への物語」ならそうだったでしょう。
しかしこの映画は、どちらかというと「自分の世界が瓦解する」物語のように思えます。そこから少しだけ再生に向かう物語。
完璧ですよ。文学です。そしてロックです。

話は平成日本的ですが、映画は70年代的な熱量を帯びていたように思えるのです。綺麗事じゃない魂の叫びを感じた。これは監督の力量なのかな?
それを支える役者も良かった。心配するのを止めて今じゃもうすっかり愛してる松岡茉優はもちろん、黒猫チェルシー渡辺大知も絶妙なんだ。



2017年12月23日公開(2017年/日)

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