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アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル



労働者階級のザ・アメリカン映画。感動作じゃないのに感動して泣いた。

監督:クレイグ・ギレスピー/TOHOシネマズ新宿/★5(90点)本家公式サイト
「史上最大のスキャンダル」とか今更言われたところで、もはや遠い記憶。真相なんかはどうでもいい。
ぶっちゃけ、事件そのものはまるでコーエン兄弟のフィクション。よく言えば「運命の歯車が狂う物語」だし、悪く言えば「ボンクラ達の底抜け大作戦」。

事件の真相はどうでもいいと書きましたが、この製作陣も同様だったのではないかと思うのです。本人インタビューの体で、登場人物と語り部を同一化し、客観性を排除している。代表的な手法としては『羅生門』ですな。
事情を知る第三者ではなく当人達の言葉で描写するからには、客観的に事件を再考することに主眼は無いのでしょう。

「それぞれの証言がパズルのピースとなって全体像が見えるパターン」でもなく、「証言が重なって真実を掘り下げるパターン」でもない。
おそらく狙いは、証言がぶつかり合って別のものが立ち上がってくる、いわば「アウフヘーベン」。ヘーゲルの弁証法ですな。
私がこの映画で見えたものは、労働者階級にとってのアメリカの姿でした。
つまり、個人の物語を通して社会が見えてきたというわけです。

貧しい生まれの子が才能と努力でナンバー1にのし上がる。『ロッキー』的な典型的・理想的なアメリカン・ドリームに思えますが、実はアメリカン・ドリームには限界がある。
「お前、女王に相応しくねーんだよ」。
圧倒的な技術でスポーツ(勝負)としては勝利したものの、人の感情は勝ち取れない。アメリカという社会は、本能的に労働者階級をナンバー1にしたくないのです。

アメリカ国民が求めているのは完全無欠のヒーローなのです。素行の悪い“女王”なんてもってのほか。ましてや出自が労働者階級なんかであっちゃいけないんです。だって気付いてる?アメリカン・ヒーローって富豪とか上流階級とかが多いんだぜ(逆に日本では金持ちは悪役側になることが多いと思う)。
労働者階級に相応しいのはヒーローを輝かせるための“引き立て役”。つまり敵役がお似合い。
だから彼女は、無意識に(最後は意識的に)ヒールへと流れつくのです。

この悪役こそが、労働者階級にとってのアメリカン・ドリームの最高峰だ!とこの映画は語っているのです。
それを第三者ではなく、労働者階級のトーニャ自身が語ることで、それが事実かどうかじゃなくて(この事件自体も同様)、彼女たちの階級は「そう感じている」、この階級の者はそう感じている“社会”だ、ということを描いているのです。
環境が彼女のキャラを作り、そのキャラ故にヒーローではなくヒールに流れ着き、ヒールであるが故にその環境から抜け出せない悪循環。

こうした「社会」という大きな流れに、「個人」の運命も重なる。
たった一度だけの「冬季オリンピック2年後開催」という奇跡。あきらめていたチャンスがもう一度巡ってくる。これを運命と呼ばずに何と呼ぶんだ!(<この映画の俺のクライマックス)

高度なスケートの見せ方、ケレン味たっぷりの演出、浮かび上がる社会背景、事実としての個人の運命。
いろんなものが巧く重なり合って、感動した。感動して泣いた。これは拾い物の映画。

余談

書きながら思ったんですけど、国によるヒーロー観の違いは、奴隷制度などの歴史的な背景があるのかもしれませんね。いずれ調べてみたいな。日米以外のヒーロー知らないけど。面倒だから思ってるだけで調べないけど。



日本公開2018年5月4日(2017年/米)

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