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悲しい色やねん



モリタくんが調子こいてた頃の大失敗作。30年ぶりに再鑑賞してなお、俺はこの映画が愛おしい。

監督:森田芳光/チャンネルNECO/★4(70点)再鑑賞→(本家
2011年12月の森田芳光の死後、意図したわけではないのですが、1,2年に1本くらいのペースで森田作品を再鑑賞している。昨年は『失楽園』、その前年に『そろばんずく』、2013年に『メインテーマ』。そして今回この『悲しい色やねん』。たまたまケーブルテレビで放映してたのを観ただけなんですけど、どれもこれも見事に“不評”映画ばかり(笑)。正確には、世間の不評にもかかわらず私(だけ)が好きな映画たち。

この映画を森田芳光が撮ったのは38歳頃。3年前(1985年)に『それから』で黒澤明『乱』を押さえてキネ旬1位やアカデミー作品賞、監督賞などを受賞。その2年前『家族ゲーム』での各賞総なめ(市川崑『細雪』、大島渚『戦メリ』を押さえてキネ旬1位)に続いて、いわば「天下を取った」状態で最高潮に調子こいてた時期。しかも初の文芸作品且つ初の他者(筒井ともみ)脚本作品が高く評価されたことで「僕、何でも出来る」という悪癖も増長。
正統派映画から一転、映画を破壊しようとした『そろばんずく』を挟んで、自身のキャリア初の(そして唯一の)ヤクザ映画『悲しい色やねん』に至るわけです。

多種多様なジャンルに挑む点はモリタくんのいい所ではあるんですが、「僕、何でも出来る」と過信している所が欠点なんですよね。本当はそんなに得手ジャンルが多かったわけじゃないと思うんだけど。

この“モリタ流”ヤクザ映画、意図としては旧来のフォーマットの破壊だったのだろうと思うんです。
正しくは破壊がメインではなく(『家族ゲーム』はホームドラマの破壊がメインだったように思えますが)、「僕ならこう撮るね」「どう?新しいでしょ」ってことだったのかもしれません。
実際、新鮮だったんですよ、当時大学生だった私には。今観れば「上滑り」なんですけどね。
男装の江波杏子とか、高島親子共演だとか、関西弁を話す主要キャスト4人(仲村トオル、高嶋政宏、藤谷美和子、石田ゆり子)全員見事に「東京出身」だとか。もう、そーゆーのいらないから(笑)。

そして今回これを書きながら、何故私がこれほどまでに森田芳光作品を愛しているのか、少し分かったような気がするのです。

その「新しさ」、あるいは旧来のフォーマットの破壊(「脱却」と言った方が正しいかもしれない)が、時代と私個人の年齢と重なったんですね。
80年代、高度経済成長が一段落して後のバブル景気に向かう時期。新しい時代の予感を肌で感じる中、娯楽の王様から斜陽産業に陥った映画界に現れた新星。従来の撮影所システムではなく自主映画出身の草分けで、まだ現役だった黒澤明、市川崑、大島渚ら大御所を押さえてトップに立った若手。そして根拠のない自信に満ちていた高校生・大学生だった「新人類」と呼ばれた世代の私。もう時代は変わったんだ。全共闘なんて知らねえよ。吉田拓郎じゃなくてYMOなんだ!

なんか、そういう時代の空気を森田芳光に見ていた気がするんですよね。



(1988年 東映)

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