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散歩する侵略者



黒沢清は何の概念を無くしたんだろう?


監督:黒沢清/シネ・リーブル池袋/★2(40点)本家公式サイト
設定は面白いし、いろんなものも提示してるんだけど、話の底が浅い。あ、『太陽』でも同じ感想書いてる。

概念をめぐるエピソードで出てくるキーワードが「家族」「所有」「自分と他人」「仕事」「ウザイなど他者の排除」そして「愛」。なんかもう“如何にも”ってチョイスじゃない?メッセージ臭いというか青臭い。青汁かっ!。すべては愛なんだ!みたいなこととか、なんかもう。V6かっ!。

真面目に批判しますけど、提示するだけだから底が浅く見えるんですよ。

例えば「仕事」「所有」「他者排除」、これらの概念を奪われた人間はある意味“解放”されてるじゃないですか。
「侵略されることによって人間が解放される」「本当はどっちが正しいんだろう?」って物語だったら、すごく深い話になったと思う。
あるいは逆に、「家族」「愛」という概念を人間から奪えなかったから侵略できなかった、という物語だったら、人間賛歌として面白い話になっていたと思う。
いやもっとシンプルに、「家族」の概念を取り戻す話だっていい。前田敦子の物語になっちゃうけど。
いずれにせよこの設定だったら、もっともっと掘り下げる要素が沢山あったと思う。

ハッキリキッパリ言っちゃえば、夫婦再生の物語なんだろうけど、「抜群に面白い設定」と「結論」ありきで、その間がズサンな典型的な“設定負け映画”だと思う。

映像というか画面上はいつもの黒沢清節なんです。
あんな崖とかこんな廃工場とか毎度おなじみスクリーンプロセスの車窓とかゾンビ歩きとか。
そういや今回気付いたけど、黒沢清って「キャー!」とか「ワー!」とか、あんまり悲鳴をあげさせないよね。そういうところとか、黒沢清の“手癖”は満載なんだけど、本質的な何かが違う気がする。まるで何かの“概念”を抜き取られたかのよう。

「この世界は不安定である」ことを描き続ける作家=黒沢清向きの題材だったと思うんです。
ただ、『トウキョウソナタ』から5年のブランク後に「完全なる娯楽作品を作るぜ」宣言をして撮った『リアル〜完全なる首長竜の日〜 』以降(その間、テレビドラマ「贖罪」を撮ってますが)、少し作風というか、描こうとしているものが変わってきた気がしています(あ、これも『クリーピー 偽りの隣人』でも同じこと書いてる)。

今回の題材は『CURE/キュア』とか『回路』みたいな初期の(そして黒沢清が最も得意とする)アッチの世界がコッチの世界を静かに侵略してくる、タルコフスキー『ストーカー』的な世界。そういう原点回帰も期待したんですよねえ。
そしたら原点回帰しすぎて『勝手にしやがれ!! 』の頃の笑えないコメディにまで戻っちゃった。
え?これ、コメディじゃないの?

もしかすると黒沢清自身が「娯楽作品」というアッチの世界に侵略されたのかもしれないな。

追伸

本当は、阪本順治『団地』とか吉田大八『美しい星』とか、なぜ今、宇宙人物が続くのか?という考察をしようと思ったんけど、一番期待した本作が一番陳腐な物語だったんで拍子抜けした。
あー、『ブルークリスマス』が観たい!

追伸2

あ、キーワードは「偽りの隣人」だ。何だか分かった気がする。



2017年9月9日公開(2017年 日)

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