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夢二



『陽炎座』から10年。『ツィゴイネルワイゼン』の言葉を借りれば「腐りかけが一番美味い」らしいが、この映画は腐りすぎた印象。
監督:鈴木清順/北千住シネマブルースタジオ/★4(70点)再鑑賞(本家
このコメントは鈴木清順没後に書いています。
没後企画の大正三部作上映で再鑑賞。26年ぶり二度目。実は公開当時に観たきり。

復活した鈴木清順が『ツィゴイネルワイゼン』を発表したのが1980年。翌81年に『陽炎座』。
荒戸源次郎という“山師”に出会ったというものあるんだけど、60-70年代の政治の季節、高度経済成長期を経て、バブル経済に入る谷間だった時期だと思うんですね。まるで、近代化へ大きく成長した明治時代と、列強と肩を並べた(気になっていた)昭和初期との谷間の大正時代と似た時代背景だったのかもしれません。

それから10年なのです、『夢二』って。バブル末期、いやもう崩壊していたかも。いずれにせよ時代が「大正浪漫」の空気じゃなかったんですよ、たぶん。
最近またアニメ化されるらしい『はいからさんが通る』だって、原作、アニメ、南野陽子の映画とも70-80年代なんです(原作&アニメのファンの私は怖くて映画は観てませんけど)。90年代にも実写ドラマ化して失敗してましたよ。だからもう時代が「大正浪漫」じゃなかったんですよ。主演は三田寛子だったかな。ま、時代のせいだけじゃなかったかもしれませんがね。

で、その10年の間、鈴木清順は『カポネ大いに泣く』というお遊びの過ぎる映画や、降板した押井守に代わって『ルパン三世』を撮ったりしていたわけです。
私個人は『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』に後追いで出会い魅了された直後の“鈴木清順リアルタイム体験期”で、若かったものですから、この頃の清順作品の評価が甘いんですね。『夢二』もその一つです。

ただ、清順作品を遡って多数観ていくと「会社側とのせめぎ合い」の歴史が見えてくるんです。
蓮實重彦も言ってましたけど、鈴木清順ってちゃんときちんと撮ろうと思えば撮れる人なんですね。下手だからワケワカラン映画になってるんじゃなくって、狙ってやってるんです。
その「ワケワカランようにしてやろう」欲が、長い歴史の中でだんだん比重が大きくなってくる。古い作品観てるとよく分かる。果実で言えば、次第に熟していく感じ。
で、私個人の感想ですが、そのバランスがちょうど良かったのが野川由美子三部作辺りで、直後の『殺しの烙印』はもう熟れ熟れ。
そして『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』はちょうど「腐りかけ」なんです。一番美味しいところなんです。それと時代の空気が「大正浪漫」やテント小屋とマッチした。これが『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』の奇跡だった。

ところが『夢二』は違う。
腐りかけから「腐り過ぎ」に近くなっている。時代の空気感も違う。ジュリーもとっくに旬を過ぎている。そしてショーケンと違ってジュリーは演技の幅が狭い。
そのせいかどうか、この映画、映像的なギミックは面白いんだけど、映画として本質的な面白さ、例えば「ハッとするシーン」などはあまりない。それが再鑑賞した正直な感想。「すげーな」じゃなくて「狙ってるな」って先に思っちゃう。

ただ再鑑賞して気付いたんですが、まあ毬谷友子が美しいこと。というかエロい。すげーエロい。
その毬谷友子が首吊った男の足をグーッと引っ張るその目。「本当は夢二を殺してやりたい」「あんたと一緒に死にたい」という情念を、言葉ではなく目で訴える。
本当はこういうグッとくるシーンを撮れるんですよ、鈴木清順。『春婦傳』で飛び交う砲弾の中を野川由美子が走っていくようなグッとくるシーンをね。

ところがこのグッとくる“はず”のシーンで、毬谷友子の顔を足で踏みつけるというお遊びが入る。せっかく美しい毬谷友子の顔に足跡を付ける。その後ずっと顔に足跡つけたまま演技してる。そういうのいらないんだって。お遊びが過ぎるんだって、清順爺さん。

追伸

エンディングの「宵待草」が淡谷のり子の歌唱で、遺作『オペレッタ狸御殿』では美空ひばりを登場させたりしてるし、たぶんこの辺りも清順爺さんなりの「面白がり」なんだと思う。



(1991年 日)

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