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砂の女



人は生きるために働くのか働くために生きるのか。人間の尊厳と存在証明。

監督:勅使河原宏/ラピュタ阿佐ヶ谷/★5(95点)本家



公開エッチを強要しますね。「みんなそれがいいと言ってる」と言うのです。これが民主主義です。なんて恐ろしい。

30年ぶりくらいに観たかなあ。映画館で観たのは初めて。
私は長いこと『裸の島』と並ぶ「生きるって辛いことなのねヨヨヨ(泣)」と生きる意味を考える映画という印象を持ってたんですけど、今回再鑑賞して印象が変わった。映像美と岸田今日子のインパクトは変わらなかったけど。

オープニングタイトルで、出演者やスタッフの名前の横に「捺印」があります。面白いなぁ、斬新だなぁ、格好いいなぁと思うとったんじゃ、若い頃は(<なぜ急に爺さん口調?)。いや、今見ても格好いいんですよ。「勅使河原宏」なんて印鑑、すげー格好いい。
でもそんなことが狙いじゃない。押印って(日本では)人間の存在証明なんです。

安部公房原作・脚本、勅使河原宏監督の長編映画は4本あります。『おとし穴』『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』。これ全部、人が消える話なのです。
そこには時代感もあったでしょう。失踪者が多かったんですよ、この時代。松本清張も失踪物が多いし、テレビでは70年代くらいまで「人探し」番組もやってましたよ。
60年代、日本の高度成長期は「政治(闘争)の時代」と「失踪の時代」がセットだったんだろうと思うのです。急激な社会変化が闘争か失踪に繋がったのでしょう。勝手な推測ですけど。

岸田今日子が言うんです。
「砂がなかったら私なんかかまってもらえない」。
これは彼女の存在証明なのです。
労働力として、そして女として、男を手放したくなかった。

一方、岡田英次演じる男は、図鑑に名を残したい(この世に永久に名を残したい)と願います。これが彼が元々求めていた存在証明です。
しかし彼は、、女からは「お客さん」と呼ばれ、村人からは「助っ人」と呼ばれ、早々にその存在が希薄になります。学校の先生であることが彼にとっての唯一の存在証明であり、「誰か心配してるはずだ」「助けに来るはずだ」と願う。この地からの脱出だけが意図ではなく、彼自身の存在を確かめているのです。

そして話は、まるでマズローの欲求段階説のような展開をみせるのです。
生きるための最低限の欲求が満たされ、愛欲の欲求も満たされた彼は、「承認欲求」を求めるようになる。つまり、水の抽出実験に成功したことを誰かに話したい、話すことで他者に認められたい、という欲求です。この社会で自分が必要な存在だと誰かに評価されたい。一時的欲求から社会的欲求への進化。
それは、彼がこの地で新たに見つけた「存在価値」であり、それを証明したくなるのです。
そして、世界に永久に名を残したいと願った彼は、逆にこの世界からその存在を抹消されるに至るのです。

「人は生きるために働くのか、働くために生きるのか」

この映画を観た時に最初に思い浮かぶ問いです。この問いは、本作の表層的な主題であると同時に、我々社会で働く者に対してその「存在理由」をも問う主題です。60年代という時代の問いでありながら、現在の我々にも通じる問い。むしろ今だからこそ、自身の「存在証明」は何なのか(自尊感=自己肯定力と言ってもいい)考える必要があるのかもしれません。
まずは、シャワーを浴びてサッパリしよう。

(1964年 日)

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