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家族の肖像〈デジタル完全修復版〉



リアリズムから象徴主義へ。見方によってはヴィスコンティのヘルムート・バーガーに対する「ピグマリオン」物にも見える。
監督:ルキノ・ヴィスコンティ/岩波ホール/★5(97点)再鑑賞→(本家公式サイト
実に30年近くぶりに再鑑賞。デジタル完全修復版上映で、これまたえらく久しぶりに岩波ホールへ。

最初に観たのは大学生の頃だったと思うんですが、ものすごく不愉快で、それなのにものすごく魅了されたんです。不愉快なものを乗り越えた先に快感を得る、一種変態チックな感覚を初めて味わった「個人的な衝撃映画」で、この感覚は最近観たグザヴィエ・ドラン『たかが世界の終わり』が似ています。こちらも家族物なので、家族というのは不快さが同居するのが本質なのかもしれません。もっとも、『家族の肖像』は家族じゃねーけどな。

今更なことを書きますが、この教授の部屋は教授の「心」の象徴なんですね。
文字通り他人が土足で踏み込んできて引っ掻き回す。いやもう、上の階なんか全然近代的に塗り替えられちゃうからね、そんなに変えなくても(笑)。
「心」の“隠し部屋”も見つけられちゃいますが、やがてヘルムート・バーガーをそこに匿うわけです。これは非常に屈折したロマンスなのです。

そう考えるとこの映画は、孤独な老人が他者と関わるという一面だけでなく、伝統と近代、高尚な精神性を駆逐しようとする物質主義、美しい若者と輝きを失った老いゆく者、隠遁生活の中でも避けられない世俗(政治や社会)、といった様々な面が見えてきます。
もう少し余計なことを言うなら、「疑似家族」物の走りかもしれません。

実はヴィスコンティがもう病気で動けなくって、やむなく1セットロケだったらしいけどね。でもそれを逆手に取って余りある“暗喩”が込められているように思えるのです。
初期作品がイタリア・ネオリアリズムという写実主義だったのに対し、晩年(とは言え60歳代だけど)はむしろ象徴主義的。そんな感じがします。
同じイタリアでもフェリーニは早々に抽象画になっちゃうけどね。なんならフォーヴィスム。

久しぶりに鑑賞して、あの「土足で踏み込まれる嫌な感じ」を味わいつつ、改めてこの映画の奥の深さに感服しました。
年齢を重ねてから再鑑賞してもなおこの映画が大好きだ。

余談

『ベニスに死す』は、美しい若者に一方的に憧れつつ満たされないまま死んでいく初老の男の話でした。しかし『家族の肖像』は、美しい若者と理解し合えるものの若者が先に死んでいく話です。
これ、ヴィスコンティの願望の変遷だと思うんです。
自身が病に倒れて死期を悟ったヴィスコンティが、愛人ヘルムート・バーガーにありったけの愛を注いで、ありったけの教養を与えた上で、いっそ自分の醜い姿を見る前に死んでくれ、と願ったようにも見えるのです。

デジタル完全修復版日本公開2017年2月11日(1974年/伊=仏)

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