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本谷有希子(4年ぶりの)演劇活動「・・・・・」

タイトルもない。あらすじや設定も説明できない。それでも俺は泣いた。これは本谷有希子の超絶私小説であり、愛の讃歌だ。
おかえりなさい。作家よりも演劇の本谷有希子の方が好きだ。

出演と作制:飴屋法水、本谷有希子、Sebastian Breu、くるみ/テキスト:本谷有希子/at:VACANT/
飴屋法水(有り体に言ってしまえば白髪のオッサン)が本谷有希子を名乗り、セバスチャンなる外国人が御徒町凧を名乗って、マイクトークする所から舞台は始まる。
芥川賞受賞で生活が一変した本谷有希子は、様々な取材を受け、“言葉”について悩んでいる。そんな彼女に夫は助言したという。「およそ芥川賞作家らしくない言葉を考えればいい」。
そんな本谷有希子と御徒町凧夫婦の会話を本物の本谷有希子が背後で見つめている。

超天才子役=くるみが、セバスチャンに「フリードリヒ2世のものまねをして」「そしでフリードリヒ2世のやった実験の話をして」とせがむ。その実験とは、赤ちゃんに一切話しかけず育てた場合、何語を話すようになるかといった実験。

飴屋法水演じる飴屋法水とセバスチャン演じるセバスチャンが50年ぶりの再会を果たす。もはやこの世界に赤ちゃんは希少なのだという。
突如流れるインタビュー映像。様々な外国人が「50年後、自分は◯歳」と日本語で答える。
くるみが執筆している。50年後の世界を書いていると言う。ベビーカーを押しながら本谷有希子が話しかける「こっちへおいで」。「なんだか怖い」「何で揺れているの?」。無表情な本谷有希子が揺れながら言う「揺れてないよ」「赤ちゃん好きでしょ」。

セバスチャン演じる何だか市の職員が超高齢者に若者言葉を教える。
セバスチャンと飴屋法水が200年ぶりの再会を果たす。
歌詞の無い歌を歌うセバスチャン演じる御徒町凧が言う「これは別れの歌だ」。
本谷有希子が言う「御徒町さんとは悲しいことがあって別に暮らすことになってしまったけれども・・・」
「八月の粉雪」「二月の熱波」謎のキーワードが提示される。

本谷有希子が軽い失語症の過去を語る。
セバスチャンは兄弟にしか分からない言葉で会話をしていた幼い記憶を語る。
くるみが、言葉を覚える以前に、楽しいことに自分なりの名前を付けていたと語る。しかし自分自身には名前を付けなかったとも言う。

「本谷さん!」この舞台では何度も言われる。「本谷さん!聞いていますか!」

あらすじはおろか、設定すら説明できない。
この演劇に設定があるとすれば、「本谷有希子が出産したこと」「芥川賞を受賞したこと」しかない。

「私はそんなに上手くしゃべれない!」本谷有希子演じる本谷有希子が絶叫する。
「赤ちゃんが産まれる音を聞いた。私は耳で赤ちゃんを産んだ」「赤ちゃんが産まれて、自分しかいなかった世界に初めてかけがえない存在ができた」そういう本谷有希子を飴屋法水が叱責する。
「自分しかいなかった世界?私たちはいたんですよ、この世界に。あなたに見えなかっただけで」「本谷さん!聞いてますか!」「ここで出産してください!もう一度、出産してください!」「聞いてますか!」
セバスチャンは地下の穴に潜り、くるみは天井近くの窓枠に追いやられ、2人きり舞台に残される飴屋法水と本谷有希子。責められ続けて再発する失語症。絞り出す“言葉”。「愛してる・・・」

これは、本谷有希子の私小説であり、“自傷”劇のようにも見える。
結婚、出産を経て、彼女は確実に変化している。
しかしそれは、芥川賞受賞の際の諸々インタビューで“平易な言葉”に置き換えられた、分かりやすい“原因と結果”ばかりではないのだろう。
巷に溢れる“直線的”なストーリーテリングではなく、平易な“原因と結果”もここにはない。
むしろこの劇で見え隠れするのは、本谷有希子の葛藤と、反論と、かすかな希望のように思える。

泣いた。この説明不能の舞台劇に、誰に何の感情移入をしたんだか自分でも分からないが、涙が頬を伝った。
昨年10月の出産、今年1月の芥川賞受賞。それだけを設定に据えたこの劇の上演発表は7月で、8月5〜9日上演という急ピッチ。そう考えると、本谷有希子の“衝動”が生んだ劇なのかもしれない。そしてその“衝動”が、ものすごい破壊力をもって私を襲ってきたのかもしれない。

出演ばかりか、ナマ本谷有希子がジュース売ってくれたりお見送りしてくれた「わーい!ナマ本谷有希子だー」的なウヒウヒ感を圧倒する衝撃舞台だった。
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