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リリーのすべて



監督:トム・フーパー/TOHOシネマ新宿/★2(25点)本家公式サイト
話の内容に騙されがちだけど、映画の出来自体は褒められたもんじゃない。むしろ下手な部類。実はビックリするほど。
ほとんど全てのシーンが、最初に二人の人物の位置関係を描写したらあとはアップの切り返しの連続。
常に画面中央に人が写ってしゃべる。オフで声が入ることもなければ、黙ったまま見つめ合うこともない。映画的な情景はほとんどない。アップの切り返し。またアップの切り返し。アップの切り返しに次ぐアップの切り返し。それ以外の演出方法を知らんのか?

病院で、ゲルダが扉を閉めて出ていき、アイナーの背後にカメラが移動するシーンがあります。なぜ覚えてるかって?(私の記憶では)たった一度だけ切り返しじゃない見せ方をした箇所だったから。でも、そのまま背中で演技させればいいものを、結局カメラを切り返して「顔芝居」を写す。またアップの切り返し。切り返してアップ。顔芝居に次ぐ顔芝居。男と女、切り返したり切り返されたり。

初めてストッキングを手にするシーンも、それまでが全部アップなものだから、何ら“映像的な表現”として切り取れていない。
その点、森田芳光の『それから』なんか、「寂しくっていけないから、また来て頂戴」って言うところだけ際立ってアップなんですよ。それで「愛の告白」だってことを“画面”で伝えている。すごいね森田芳光(<何十年前の話をしてるんだか)。

衝撃的なヘタクソさを露呈したのは、あの“沼”を訪れるラストシーン。
キャンバスに描かれた風景よりだいぶ“寄り”なんですよ。あの印象的な4,5本の木立の“アップ”なんです。なんだそれ?そこはアイナーが描いた絵と同じ構図じゃなきゃダメなんじゃない?

その場所は、“リリー”が初めて現れた「原風景」なのです。そして“リリー”を封印した場所でもあるのです。言い換えれば、“沼”に“リリー”を沈めたのです。
だから彼は何度も“沼”を描いたし、何度描いても「飽きない」と言うのです。なぜなら、本当の自分がそこにいるから。だから“リリー”が再び姿を現した時、彼は風景を思い出せなくなり、描けなくなるのです。

つまりこの場所は、この映画の最重要ポイントなんですよ。それなのに、この雑な扱いはなに?
決着(風でスカーフを飛ばす)だって、この“沼”じゃなかったら意味ないでしょ。なにその崖?なんなの?
もったいないを通り越して腹が立って仕方がない不出来な映画。

アリシア・ヴィキャンデルというスウェーデン女優がチャーミングだったから少しオマケ。
ただ、傑作『わたしはロランス』は、彼にゲイであることを告白された女の気持ち(苦悩やどうにも出来ない苛立ち)が痛すぎてヒリヒリしたけど、この映画は「クルクル変わる表情が魅力的だわ」って思ってウヒウヒ観てたから、やっぱり失敗なんだと思う。

日本公開2016年3月18日(2015年 英=独=米)

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