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恋人たち



監督:橋口亮輔/テアトル新宿/
★3(65点)本家公式サイト

触れる、物語。そして『ゼンタイ』の弊害。

主人公は3人。恋人を失った青年、雅子様好きの主婦、ゲイの弁護士。

主婦は、自転車の後ろに乗った光石研に腰を触れられたことから非日常へ足を踏み入れる。青年は頬を触れられる幻を見る。
弁護士は触れられない(片思いの)相手の影を松葉杖でなぞる。
青年の同僚女子は“飴ちゃん”を飲みかけの缶ジュースに乗せ、間接的に青年に触れようとする。
ゲイの弁護士は友人の息子の耳に触れることで、友人の奥さんに避けられるようになる。
(これらのシーンは全てアップで意図的に撮られている)。
主婦に至っては“明るい家族計画”からナマの子作りというオマケ付き。

この映画は「触れる」物語だと言えます。

実際に触れてしまったゲイの弁護士は忌み嫌われ、間接的に触れてくる同僚女子に「ありがとうってお母さんに言っといて」と言う青年は、肩を組んでくるリリー・フランキーを嫌がり、片腕のない=触れられない上司に癒やされる。

主人公たちは、“触れられない”“触れられたくない”人たち。これは彼らの社会との関わり方なのでしょう。

この映画、『ぐるりのこと。』以来7年ぶりの長編という売りですが、間に『ゼンタイ』という中編を撮っています。
『ゼンタイ』は、世間に“触れる”ことにストレスを感じた人々が、“全身タイツ”に身を包む(=自らを無個性化する)ことで解放される話です。“触れる”ことがここでつながります。
これを習作として本作が作られたのかもしれません。

『ゼンタイ』は若手俳優のワークショップをベースに作られたオムニバス形式の作品でした。
この『恋人たち』もそれを踏襲するかのように、名のある俳優を脇に回して無名の役者たちを主人公に配置し、まるでオムニバスのように3人の主人公にまつわるエピソードを描いています。多少関わる所も出てきますが(それ故、加害者と被害者が紙一重という解釈もできるのですが)、相互に大きな関わりは生じません。

しかし、それは正解だったんだろうか?と思うのです。

やっぱり『ぐるりのこと。』は木村多江を中心とした点がよかったように思うんです。
壮大で重層的な、まるで天井画のような映画でしたが、核があったからこそ、と思うのです。
『恋人たち』が、どこかフワフワしたような、あるいは観客(少なくとも私)の“居場所”が無いように感じるのは、無名俳優のオムニバスに起因しているような気がしてならないのです。
そして(こんなこと書くと身も蓋もないけど)、描いている物語自体は陳腐な気もしちゃうのです。

いや、巧いことは巧いんだよ。あの主婦の趣味の悪いおしゃれファッションとか。もう、見てて痛々しい。本当に嫌だ。

2015年11月14日公開(2015年 日本)

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