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原爆の子


監督:新藤兼人/日本映画専門チャンネル/★4(80点)本家

新藤兼人の怒りと苦悩。広島出身者として、インディペンデント開拓者として、2つの苦悩が垣間見える。
昭和27年。戦後7年。広島出身の新藤兼人の想いが詰まっている。

物語の構成としては「主人公があちこち歩いて様々な人に出会いました」という作り。主人公は語り部に徹し、描くべきテーマは出会う人物達に委ねられる。ロードムービーに似ているが、ちょっと違う。ロードムービーには主人公自身の距離的な移動と精神的な移動(成長)が伴う。それを“直線的”と表現するなら、この映画のパターンは“円”である。主人公は元の場所(近い場所)に戻ってくることで、主人公自身よりも周囲の物語を引き立たせる。
このパターン、例えとして適切な映画はないかな?ソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』とか、押井守の『イノセンス』とか。どっちも適切な例ではない。かえって分かりにくいじゃねーか。
こうした作りにしたことで、新藤兼人の怒りや苦悩を声高に叫ばずに、少しクールダウンして提示されているような気がします。

戦後初めて原爆を直接取り上げた映画と言われているそうですが、日本インディペンデント映画の草分け的作品でもあります。
そして新藤兼人の演出には、セミドキュメンタリー的な作りでありながら、彼らしからぬカメラ移動や画面の切り取り方など、しばしば「商業映画的な演出」が残っているのです。むしろ、製作年を考えれば、当時の水準以上に高いレベルの「商業映画的演出」とも言えます。
それも仕方がない。時代も時代ですし、新藤兼人自身まだ2本目くらいの監督作。そしてその師匠は溝口健二なのですから。

当時は、この上なく、とてつもなく、目を背けたくなるような“リアル”な映画だったのかもしれません。たぶん、世間が目を背けていたからこそ、新藤兼人は作る気になったのでしょう。今観ても当時の“リアル”を痛いほど感じられます。
私が深く感じ入ったのは、今でこそ「忘れるな」「風化させるな」と言われますが(それは間違いじゃない)、当時の当事者は「もう忘れた(忘れたい)」と言うんですね。それがリアル。

ただ、一番興味深かったのは、一つ画面に、乙羽信子と宇野重吉と奈良岡朋子が同居したこと。そこを一番面白がっちゃったことを正直に告白します。

(1952年 日)

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