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現金に体を張れ


監督:スタンリー・キューブリック/BSイマジカ/★3(60点)本家

なるほどね。

画期的だったんだと思います。タランティーノがインスパイアされたのも納得できます。私も若い頃に観ていたら「オオッ!」と思ってたでしょう。でも、その後のキューブリックを観ちゃってると物足りない。面白いんだけど。ま、後から観た者の不幸ですな。

ただ、今にして思えば、キューブリック向きの題材ではなかったように思うのです。

キューブリックは話の面白さで観客の興味を引く監督ではありません。我々観客の心が動くのは、彼の紡ぐ物語ではなく、彼の映像表現だったように思うのです。『シャイニング』の恐怖表現が典型的な例で、理屈抜きで画面が怖いんですよ。音楽に例えるなら、「素敵なメロディ」ではなく、「究極の音」を求めていたのではないでしょうか。映画という媒体の“表現の限界”に挑戦し続けた監督だったとも言えるでしょう。

そう考えると、この映画の構成もまた(当時としては)“表現の限界”に挑んだものだったのでしょう。
しかしですな、この題材は「事態の行く末」という話に観客の興味が向いてしまうのです。
そして時間軸を崩した結果、“軸”がなくなってしまったように思うのです。

『レザボア・ドッグス』は、ある程度の結果を先に見せて、「どうしてそうなったんだ!?」と観客の興味を引くんですね。その興味を“軸”に、“種明かし”を崩した時間軸で見せていく。
一方この映画は、事態の行く末が興味の対象なのに、遅々として話が進まない。ベラベラ奥さんに喋っちゃうダメ男なんか、見ててイライラする。同じ題材をコーエン兄弟が扱ったら「人間は可笑しくて悲しい」話になったろうが、キューブリックが人間に向ける視線は冷徹で、ダメ男も愛すべき対象ではない。

キューブリックのフィルモグラフィーを改めて眺めてみると、「一番恐ろしいのは人だ」というテーマに貫かれているような気がするのです。
この映画も、欲に取り付かれた人間の恐ろしさを描いているのでしょうが、そのスタイリッシュさが逆に描くべきテーマを遠ざけてしまったように思えるのです。

(1956年 米)

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