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超能力研究部の3人

超能力研究部の3人監督:山下敦弘/シネ・リーブル池袋/
★3(60点)本家公式サイト

喪服(制服)の3人は祈る言葉さえ失くしてた
この映画は、まるで呪文(祈りの言葉)をつぶやいているようなラブレターの一件から始まり、彼女らの祈りではUFOが呼べなかったというエピソードで終わります。
穿った見方をすれば、この映画は、劇中で歌われる「喝采」の歌詞のように、喪服(制服)と言葉の物語にも見えるのです。

まず主人公の3人は、“乃木坂”という制服を脱ぐことを監督から要求されます。
さらに彼女らに求められるのは、言葉(上っ面の演技)ではありません。言葉の先にある一個人としての感情です。
ラブレターや告白、ヤンキーとの喧嘩、キス、どのシーンでも言葉より身体が求められるのです。ドラマ部分以外でも、何気ない言葉からこじれた友情が海を見るという体験で修復されるのです。

これ、フェイクドキュメンタリーですけど、こう見ると、実は緻密に計算されたフィクションなんだと思うんですよね。

もしかすると、トップアイドルと言っても“超能力”があるわけじゃなくて、普通の女の子が生身の人間として努力して体当たりしてアイドルとして成功している、という映画なのかもしれない。

しかしですな、正直な感想を書くと、私には主人公3人が最初から最後まで特に魅力的に見えなかったんです。この成長譚だったら、例え好みの顔じゃなくても最後は惚れるくらい魅力的に見えるはずなんですがね。私の目が腐ってるんでしょうかね。

比較の対象として正しいかどうか分からないけど、やっぱり前田敦子は凄いと思うし、映画で見るえれぴょんも魅力的に見えるんです。有り体に言えば、「めちゃイケ」でたまに見るAKBの方が「この子すごいなぁ」って思わせてくれる。指原の肝っ玉なんか京塚昌子級ですよ(<なんだそれ?)。
役柄のせいかもしれないけど、この映画の3人は終始“窮屈そう”に見えるんです。
おそらくその解放が海のシーンと「喝采」なんだろうけど、そこに映画の神様は降りてこなかったように思えるんです。(むしろチーフマネージャーに映画の神が降りてる)

そう考えると、体当たりだけじゃどうにもならない“超能力”ってあるんだよ、本当は(<身も蓋もない)

余談

映画と全然関係ない話なんですが、この映画を見て、所謂パイオニアって“超能力”があったんだろうなって思うんです。いや別に、スプーン曲げられるとかじゃなくて。

例えばAKBの初期メンバーと呼ばれる人。どこまでが初期メンバーか分かりませんが、少なくともAKBってグループを大看板にした初期の主要メンバーってのは、何か持ってるんですよ。
これは約10年前のモー娘。も同じ。グループが“大看板”になってから入ったメンバーは、根本的に目に見えない何かが足りない。
これは企業、特にベンチャーなんかでも同じことが言えて、無名の会社を大きくした初期メンバーと大企業になってから入社した社員とでは全然意識が違う。
日本史を見ても、江戸幕府や室町幕府なんか初代が拓いた体制を三代目が確立するパターンなのね。言い換えれば3期生くらいまでが“ネ申”で、途中8代目あたりが銀閣寺作ったり暴れん坊になったりするけど、あとは初期の遺産を食い潰していくだけ。
そもそも乃木坂ナンチャラは、意図的にAKBの対義的存在として作られたんでしょ?ビートルズに対するモンキーズであって、決してストーンズじゃない。そこに“超能力”があるようには思えない。ストーンズのポジションはももクロですよ。ももクロ最高!世界のももクロナンバー1!これが言いたかっただけ。ご清聴ありがとうございました。

2014年12月6日公開(2014年 BS-TBS)

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