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椎名林檎アリーナ・ツアー「林檎博'14 -年女の逆襲-」

林檎博at:さいたまスーパーアリーナ

2日続けて見て感じた林檎嬢王様の仰る「丼もの」について
林檎嬢王様の女王様っぷりは相変わらずヒドくて、本人曰く「サディスティック」なライブだったそうだが、そう話したのは2日目でね、実は初日はアンコールまで一言もMCなし。だからライブが終わったかどうかも分からなくて、アンコールを求める拍手が始まるまで暫し間があったくらい(さすがに2日目は「次が最後です」と言った)。
それでも両日ともMCはアンコールの最初にちょこっとだけで、2日間合わせても「能動的3分間」より短いくらい。

さらに、その選曲。
例えば「本能」とか「丸の内サディスティック」とか「歌舞伎町の女王」とか初期のお馴染み曲は一切なし。事変より前の曲は「やっつけ仕事」くらいしかなかったんじゃないか?
私はニューアルバム『日出処』がとても気に入っているので大満足だったんだが、多くのファンはどうだったんだろう?
余談だが、最近のシングル曲は手癖で楽に作ってる感があってイマイチ好きになれなかったんだけど、アルバムに収まるとピタッとハマるのね。不思議なもんだ。

選曲で言えば、『日出処』の1曲目「静かなる逆襲」って曲はホーン・セクションも派手で、オープニングに相応しい曲なんですよ。スペースシャワーTVの椎名林檎特番でも番組ディレクターが「ライブはこの曲がオープニングで林檎さんがセリで上がってくるイメージ」と言っていたくらい。私も同意見ですよ。
ところがその曲はラストなんだ。しかもスパッと終わる曲で、アルバムでは間髪入れず2曲目が始まるの。そりゃ、それで終わられてもライブが終わったかどうか分からないって。アンコールを求める拍手も始まらないって。
逆にオープニングは「今」という地味な曲で肩すかしする(毎度そうなんだけどね)。歌い出しが♪恐ろしくて堪んないの〜だからね。しかし観客はギャー!言うてステージに釘付けなのになるわけじゃないですか。ところがステージ上に林檎嬢王様はいない。どこだどこだとステージに目を凝らしていると、客席の後ろから花道を台車(?)に乗ってやってくる。後ろから来るのかよ!肩すかしの連続。それでもみんなギャー!言うとるけどね。

まあ、そういう意味ではいろいろサディスティックだったよ。

しかし最近、女王様がテレビでこんなことを話していたのです。
「皆さん、音楽じゃなくて歌を聞いている。食べ物に例えるなら“丼もの”みたいに、それだけになっちゃう」

私が何を言いたいかというと、ライブの観客のほとんどは椎名林檎を見に来てる。言わば“丼もの”。
しかし女王様はステージを見てほしい。言わば、懐石料理やフルコースを提供したい。
こういう構図なんだと思うんです。

これには私の鑑賞位置も幸いして、初日はステージほぼ真横(裏方が見えてしまうくらい)林檎女王様を近くで堪能し、2日目はほぼ正面なんだけどステージは少し遠目で(アリーナだったけど)落ち着いてステージ全体を見渡せたんです。
そういう位置で見て分かったのは、見事なまでに計算されたショーとしての“演出”と、それを見ていない観客ということなんです。

林檎様はサディスティックだねぇ、意地が悪いねぇ、言うとりますが、実は彼女なりのサービス精神は満載なんです。
ただ、一般的に考える“ファンとの交流”“一体感”“「みんな大好きだよー」”“「I Love TOKYO!」”的なことはサービスと考えていない。実際、観客にマイクを向けることもなければ手拍子を求めることもない。

観客にステージを「ご覧いただく」。これが彼女の考えるサービスであり、彼女自身はその歌声も含めてステージ全体の演出に同化し、“主役”というポジションの“1パーツ”として機能しようする。
ナチュラルよりもケレン。リアルよりもフィクション。現実よりも夢幻。
そう考えれば、無駄にトークをしないことも、衣装替えが多いことも納得がいく。丼ものよりフルコース。そういうことなんですよ。最後の方なんかキャバレー感満載!
本人が言うほどサディスティックではなく、前回の林檎博よりユーザーフレンドリーでしたよ(<そうか?)

いやもう、斎藤ネコさん(谷山浩子の編曲やってた頃から知ってますよ)とヒイズミマサユ機(彼が所属する俺の大好きなPE'Zはこの2日後に解散を発表する)のコラボなんか興奮ものですよ。(<最後そこかよ)

(当日の模様はアールオーロックで紹介されてました)

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