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GODZILLA ゴジラ

ゴジラ監督:ギャレス・エドワーズ/吉祥寺オデヲン/★3(55点)本家公式サイト

もう時代じゃない
決して出来の悪い映画ではない。いやむしろ、よく出来ている部類の映画だと思う。ただ、私の気持ちが高揚しなかっただけで。

私が平成『ガメラ』シリーズの熱狂的ファンのため、伊藤和典のストーリーテリングがハリウッドに認められた誇らしさはあるものの、「何を今さら」な話であったことも高揚しなかった理由の一つだと思う。
『クローバーフィールド』はまるでヒッチ先生の『鳥』を現代風にアレンジしたような面白さがあったが、この映画は特撮の凄さ以上の魅力が感じられない。いやもう平成『ガメラ』シリーズを見直せば充分ですよ。あっちの方が“土地勘”がある分面白い。東京タワーに巣くったギャオスを見張るための本部が天王洲に設置されるなんて燃えるじゃないか。いやもう、それだって20年近く昔の映画だけどね。

いや、でも、きっと本当は違うんだ。この映画を観て気付いちゃったんだ。

21世紀に入り、産業も生活も大きく変わった。「重厚長大」つまり「大きいことはいいことだ」という時代から(かつては馬鹿にされた)「軽薄短小」に変化した。大型車よりコンパクトカーがもてはやされ、重工業よりも情報などのソフト面が社会の中心になった。

これは、恐怖に対しても同じじゃないかと思うんだ。
現代にとって“リアル”な恐怖はウィルスやサイバー攻撃であって、巨大怪獣はもはや“リアルな恐怖”ではないのだ。

昭和29年の初代『ゴジラ』は、日本人に敗戦の恐怖が残っていた時代だった。
日本人の大半が外国人を見たことすらないにもかかわらず「鬼畜米英」の言葉に踊らされ、その結果「空から爆弾が降ってくる」という(おそらく)当時の日本人のほとんどが想像もできなかった事態を経験する。
やがてその体験は、(人の手が届かない上空から)街を破壊する巨大怪獣=ゴジラとしてフィクションに昇華された。それは当時の日本人の記憶に残った“リアルな恐怖”の再現であったはずだ。
そりゃもちろん私だって敗戦は“リアル”な体験じゃない。しかし私の世代は、戦争の恐怖を“リアル”に感じた大人達が作った作品を観て育った。当時のウルトラマンシリーズがその代表例だ。実際、私が生まれた頃はまだ沖縄はアメリカ領だった。戦争は、そう遠くない“リアル”だったのだ。

この映画はかろうじて、スマトラや東日本の大震災の記憶や9.11の記憶とリンクさせて、恐怖を“リアル”に変換しようとしている。その努力は認める。
しかしクドいようだが、重厚長大の時代は終わったのだ。震災は別として、「飛行機で突っ込んでビルを壊そう」なんて発想するのは教養の無いイスラム教徒しかいない。中国人だってサイバー攻撃する時代だ。そんなことは世界中が知っている。

巨大怪獣は、もう時代を捉えきれない。そういう時代だ。
この映画はそれを教えてくれる。

余談

おいおい、ジュリエット・ビノシュだよ。おいおい、そんな扱いかよ。ってのが一番衝撃だった。これも時代だ。

日本公開2014年7月25日(2014年 米)

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