2013年にこのコメントを書いているんですが、相米慎二監督が若くして亡くなって、もう12年くらい経つんですね。
あらためて言いますけどね、ほんと、嫌いなんだわ。
なら観なきゃいいのにって話なんですが、少しは分かるようになったかと思ったのよ。自分で言うのもナンだけど、俺、結構、映画観てるんですよ。辛口で文句ばっかり言ってるけど、粗探しで映画観てるわけじゃないし、立派な何かを求めてる訳でもなくて、基本は楽しみのために観てるし、なるべく良い所を見つけて褒めたいと思ってるんです。
この映画で褒めるべき点は一つもないわ。腹が立つばっかり。
これは冨樫森の講演会で聞いた話なんだけど(冨樫森は本作で助監督をしている)、相米慎二はまず脚本をメチャクチャに書き直しちゃうんだって。『魚影の群れ』の時なんか、大御所田中陽造の脚本を「好きに直せ」って若造の助監督に渡したそうで、渡された側(要するに冨樫森)は正直ビビったそうですよ。
何が言いたいかというと、相米慎二は、論理的な構造を一度破壊しちゃう人だったんだと思うんです。そこが評論家ウケがいい所なのかもしれない。
まあ、それはそれでいいんです。即興だから得られる躍動感みたいなものもありますしね。
ところが相米慎二は、気が狂うほどリハーサルを繰り返したと言われています。
矛盾してると思うんですよ。
論理的なものは破壊するくせに、役者は自分の思い通りに動かしたい。それ、どういうこと?
長回しなのに役者を信用してないって、どういうこと?
彼の作品に出演した役者は異口同音に「勉強になった」「役者として成長した」って言うんですが、誰一人「楽しかった」とは言わないんですね。
この『台風クラブ』をはじめ、いわゆる青春映画とジャンル分けされる作品が(特に初期の作品に)多いのだが、主人公たちのキラキラした瞬間を捉えてるようにはとても思えない。
むしろ、いま思い返せば、相米映画の登場人物は皆、魚の死んだような眼をしてたような気がする。
穿った見方をすれば、「現場、楽しくねー」って空気が画面からにじみ出ているような気さえしてくる。ほんとに、観てて楽しくないんだよ。
そう考えると、相米慎二は、脚本を壊し、役者を壊すことで映画を作っていたのかもしれない。
こういう(勝手な)結論に至ってみると、何だか面白い作家のようにも思えてきた。嫌いだけど。
(1984年 日)
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